『20170129~即興劇『僕の名は』~』
 冷たい空気に寒さというよりは清々しさを感じていた。  午前6時の日曜日は、散歩している僕の吐く息を白くした。まだ、明日からの学校生活の憂鬱感は無い。  コンビニの百円で買えるホットコーヒーを片手に、僕は再び歩き出す。健康志向の人が歩く。飼い犬と一緒に歩く。  そんな人達を僕は見ている。  その静かな朝を終わらせた唐突なスレーキ音。人通りの少ない道であることを良いことに、当たり前のように去っていく車。  去ったのは車と音だけではなく、人の命。魂が消えて肉体が空となる様を僕は見ていた。  翌日のその路傍には花が献花されていた。被害者のクラスメイトがやって来ては花を添える。漫画を添える。お菓子を添える。  土砂降りが花を散らす。漫画をドロドロのゴミに変える。お菓子を腐らす。やがてそこはゴミが溜まった。空き缶、吸い殻、躊躇いなく捨てられる。  それでも次の日にはまた添えられる。母が涙ながらに添える花。路傍に咲く華。それを僕は見ていた。  クラスメイトが次の日には談笑していた。机の上に置かれた花はイジメの道具になっている。死んだのはヒロキじゃないのに。それを僕は見ていた。  翌週には図書委員のミサキちゃんの机に花瓶が置かれた。  大人しかった彼女は格好の標的だった。それまで虐められてすらいなかった彼女。  やがて学校にも来なくなって夜の街でバッタリ会ったクラスメイトが見たのは一晩一万五千円で身体を売る為に中年男性と歩く姿だった。  君をそんなに安く買って欲しくはない。そんなに安く売って欲しくはない。僕に本を貸してくれた君は。待ち伏せしたクラスメイト数人に彼女は拉致された。犯された。泣き叫ぶ事すらせずに彼女はただただ無表情を貫いた。壊れる心すらもう無かった。それを僕は見ていた。    僕と少しでも関わった二人が標的になった。まるで不幸の手紙のような教室の花瓶の花は既に枯れていた。もう誰も見向きもしなくなった花瓶はタダヨシが落として割れた。教室から僕は消えた。それを僕は見ていた。  クラスメイトに残った僅かな僕の記憶。それが唯一の僕の存在の証明だった。  十年、二十年、三十年。時が経てば誰の記憶からも僕は消える。  四十年、五十年、六十年。僕を愛した両親も死んだ。僕を知る人はいなくなった。僕という存在が消えたのだ。  いいや、まだあった。『事故死』の記録が警察と、『死亡』の記録が市役所にある。ただそれだけだ。名前が残っているだけ。両親が初めにくれたプレゼント。  それだけが残った。そんな人生だと諦められる程僕は幼くはない。  クラスメイトの誰もが死んだ。生きていれば既に百歳を越える。僕の事故からももう数十年だ。あの路地は土地開発で無くなった。それを僕は見ていた。  ビルが建った。そこから飛び降りた会社員の落下した駐車場のスペースは僕が眠る場所だ。それを僕は見ていた。  また花が添えられた。その区画が駐車場として使えなくなった為に苛立つ人もいた。それでもしばらくの間、花は添えられていた。まるで会社が事故死の事実から解放されるように駐車場は解禁された。  彼の名は会社から消えた。毎日手を合わせに来ていた奥さんと娘の姿も無くなった。彼との記憶が二人に根付いていることを願いながらそれを僕は見ていた。  時が経って二人も死んだ。彼を知る者はどれだけいるだろうか。彼が生きた事で何を残しただろうか。苦労まみれだったかもしれない人生はビルから飛び降りた事で全てが消えてしまったのだろうか。  彼もまた僕と同様に名前だけは警察と市役所には残っている。名前だけが。  歴史上の偉人も、ビルから飛び降りたサラリーマンも、車に轢かれた学生も、名前だけは残る。名前だけが遺る。いつまでも。いつまでも。  永遠に生き続ける。語り続ける者がいる限り。語り継がれる名前がある限り。だから僕も名前を残す。君の記憶に。君の脳に。君の心に。  苦しみと後悔の日々も、『死ねば全てが終わる』という定説がもたらした僕の中の拒絶感。  終わらせてなるものかと思い留まったからこその数々の物語。  君に遺す。ここに遺す。永遠に遺す。  僕の名前は──。  これは確か『名前』だけはいつまでも遺せるということから考えたものですね。 2018/02/11 NEXT→14ページ目