intro[1]
intro[2]
『PUNK @ gain』[1]
『PUNK @ gain』[2]
『PUNK @ gain』[3]
『PUNK @ gain』[4]
『PUNK @ gain』[5]
『REVEL』[1]
『REVEL』[2]
『REVEL』[3]
『DEAD HUMANOIZE』[1]
『DEAD HUMANOIZE』[2]
『DEAD HUMANOIZE』[3]
『DEAD HUMANOIZE』[4]
『DEAD HUMANOIZE』[5]
outro
 Intro[1]
 今日も変わらず彼女の表情は暗い。いや、暗いと言うのは少し語弊がある。明るい時があるから暗いという時もあるのだから。  昨年の夏を前に、彼女が笑う事は無かった。暗いというよりは、心ここにあらずの無表情を貫いている。ただそれだけで、周囲からすれば『暗い』表情が彼女にとっての『普通』だった。  もっとも、本人からすれば、そんなものは『どうでもいい』と一蹴出来るほど些細な事でしかない。  学校で周囲の話題といえば、流行りの動画(どうでもいい)流行りの芸能人(どうでもいい)流行りのスポット(どうでもいい)に、部活に勉強(どうでもいい)。流行りのスイーツ……はちょっと美味しそう。さして周囲の動向には興味が無い。彼女は高校二年生になっていた。由来不明の色素の薄い髪は耳の後ろで結っていたものの、伸びてきた為、結い目が上がっていた。  黒いアイシャドウが、猫のように気ままに生きる彼女を表現するにふさわしい強気な目を取り囲む。  流行りの動画147センチの身長は変わらない(どうでもいい)。ブラいらなくない? と自分でも思うような胸も胸も一切成長する気配が無い(どうでも……いい)。  そんなヴィジュアルなもので、クラスの端っこでヒソヒソ話す所謂二次元大好き系からの視線が熱くなって来たことは、ちょっとばかりウザったい。  何か言いたいなら話し掛ければ良いのに。とはいえ、話し掛けられても頭が縦か横に一度振られるだけなのも相変わらずだった。  つまり、彼女──須山ルナは去年から髪の長さしか変わっていなかったのだった。付け加えるなら、大きな穴も増えたというべきだろう。  両親共に今は実の親ではなく、追い出されるように一人暮らし用にマンションの一室を契約して与えられ、仲良くしてくれた見ず知らずのパンクバンドのお姉さん、『魅由』は目の前で車に轢かれていなくなってしまった。  更には、昨年仲良くなって大好きだったクラスメイトの日出陽までもが、帰って来なくなり一年近くが経とうとしていた。  都内の地下の施設で一切公表されないままの戦争を終わらせると、未だに非現実極まりない言葉を残したまま。  もしかしたら、アタシが不幸の原因なのかも。そんな風に考えてしまうほど、彼女の周りから人はいなくなっていく。  そうこう考えていても、意味があるわけではない。何か変わるわけでもないのなら、仕方なく学校に行く準備をするしか無いわけで、鏡に向かって、メイクをしていると、窓に向かって『コン!』と音を建てて蝉がぶつかって来た。 「……早くない?」  ちょっとビクッとなった自分に冷ややかな笑いを送りつつ、メイク再開。もう夏なのかと、手首に目をやる。  二十八本の、今では薄くなってしまった傷跡にしか見えない、日出陽との愛情。  放課後の教室でお互いの手首を切り合うという、自分の命を相手に任せた求愛行為(SEX)は未だに残り、クラスメイトからの目もなかなか冷たい。  相手の手首にはまだ残っているだろうかと思いつつ、こんな事ならもっと切れば良かったと、若干残念がりつつ、それが痛くて気が散って死んでしまったら元も子もないかと、メイクを終える。  玄関を出ると、梅雨の日差しがジットリとしたイヤな汗を出させる。  これだけ平和な世の中だというのに、有楽町の地下には戦場が  あって、そこには全国から高校生が集められて戦争をしていたというのだから、驚く他にない。  日出陽はその戦争でのナンバー1兵士だったらしい。  そんな彼が、これ以上の犠牲は出さない為にと一人で戦いに行ったのが、去年の夏。  一体どんな戦略があったのか、今ではもう知る事も出来ないし、聞いてもわからない。  ただ、一緒に戦いに行っていたクラスメイトは今ではもうそんな戦争の話もせずに、笑って過ごしているのが気に入らなくはあった。  秋頃までは、召集が無い事に疑問を持っていたようだったが、  冬休みが始まる頃には、彼女が出来たとかで騒いでいた。冬休みが終わる頃にはフラれたとかで意気消沈していたが、進級したころには後輩に告白されて付き合っているだとか。  陽と仲が良かった(あずま)春海(はるみ)はそんな調子で、更に、春海にくっついている仁科(にしな)冬真(とうま)も相変わらず一般大衆に紛れたい主義の目立たなくて大人しいポジションをキープしている。  そこに、日出陽もいたというのに。  学校に来なくなったことを、二人は口にしていなかった。  戦死した山本太一が、学校に来なくなった理由を知っていたように、二人は日出陽もまた、死んでしまったのだと思っている。  そんな風にルナは見ていた。  教室に入るのはいつもギリギリか、朝のHRが始まってからだった。理由は簡単で、コンビニに寄ったり、いつも登校途中で行われている野良ネコの集会に参加したりしているからだ。今ではすっかり逃げなくなった四匹のネコたちは、ルナの姿を見るなり議長の登場とばかりに座って、議長がしゃがみ込むのを待っている。今日は五匹いる。 「偉いね、キミたちは。いなくならないから。お、今日は新入りもいるじゃん。名前は?」  怯えるように、腰の退けた茶色と白の丸々としたネコを宥めるように、古株の白猫が「ニャ」と短く鳴く。そして、見ていろとばかりにルナの膝に頭を擦りつけて、グルグルと喉を鳴らして顔を上げる。  ルナは少しザラザラと傷んでいる毛の感触を楽しみ、頭を撫でた。  次はお前だと、白猫(名前:ぐるる)は新入りの頭を叩いた。 「名前何にしよっかなー……おいで。とりあえず声聴かせてよ」  自分の声は誰にも聞かれたくないのに、よくもまぁ(ネコ)には  頼むものだと、ルナは苦笑した。  恐る恐る歩みを進める新人を、根気よくルナは待っていた。  うっすらと聞こえる学校のチャイムに、今日は遅刻だなと、覚悟を決めたらもういいやと、急ぐ気も無くなった。  新入りネコは、先輩ネコと同じようにルナの膝に頭を擦りつける。  頭を撫でてやると、ぐるるよりも肉付きの良さが手に伝わった。 「良いモン貰ってんじゃん? 野良なのにそんなに太ってさ。ん~、名前は……チャトンね」  漢字にしたら茶豚。ネコにはわからないから良いだろうと命名。  黒猫のノアニと、三毛猫のマダラとも挨拶をして、今度こそ学校に向かって歩き出した。  一時限目が終わるまで、自販機でミルクティーを買い、下駄箱で日陰の涼しさを満喫。  終了のチャイムが鳴る頃を見計らって、教室に向かおうとした時、イヤな相手と遭遇。 「お~? 今頃登校?」  保健医の木山美沙。背が高く、『女の肢体』を妄想通りに再現したような女。そんな自分のスタイルを百パーセント使いこなす為の胸元の大きく開いた服装は、PTAと先生方の戦争の火種。通称『姉御』は男子たちにも人気があり、女子にも放課後は様々な個人的な悩み相談を聞いてあげているらしい。  その一方で、男子生徒をつまみ食いしている事もルナは知っている。兄弟がどれだけいるのか、一度聞いてみたが、それは内緒とはぐらかされた。  話したくはない為、頷いて教室に行くと、別なクラスで授業だった担任と擦れ違った。 「あ、須山ちゃん! 今日も遅刻でしょ? 駄目だよ、ちゃんと来ないと」  これにも、頷いて終わる。  正直、朝のHRは出たくない。  もう去年の夏からずっと、担任が出席確認をする時には決まって 「え~と、今日も日出君は休みです(リピート&リピート)」  昨日も今日も明日も明後日もずっと来ないという事は、なんとなく、うっすら予想出来てしまう。それなのにいちいち言うからうざったくてしょうがない。  勉強しようとしたら、勉強しろって言われるような気分。  わかっているから言わなくて良い。 「今日も日出君は休みだよ(リピート)」 「なんでアタシに言うの?」  敬語なんか使うような相手でもない。  四十二歳で自分を『川本(かわもとn輝星(きらり)』と呼ぶような、痛々しい若作りに必死な先生なんか。  しかし、そこには触れずにようやく話してくれた事が嬉しかったのか、パタパタと駆け寄ってとんでもないことを言い出す。 「クラスのみんながね、須山ちゃんは日出君と付き合ってたとか言うから……違うの?」 「付き合って……た?」  出所はなんとなくわかっている。しょうもない話に付き合ってられないと、返事を待つキラリンに背を向けて教室に歩いた。  もし、あの関係を付き合っているというなら、それは今も有効で、付き合っていたなんて過去形にされたくはない。 『二年C組の須山ルナー、至急保健室までー』  姉御からの呼び出しに、教室に向かっていた足を180度回転させて引き返す。  用があるならさっき言えば良かったのに。そもそも、保健室に呼び出しって珍しくない? ブツブツと文句を言いたい衝動を抑えながら、ルナは三階までせっかく上がったのに、また一階の保健室のドアをノックした。 「良いよ」 「失礼します」  カーテンも閉められ、缶コーヒーとミルクティーが机に置かれている。 「ちょいと長くなるからさ」 「授業どうするんですか?」 「貧血か生理痛かどっちか書いとくよ。どっちがいい?」  そういう問題じゃない……と言いたいところだが、堂々と遅刻して来た身では何も言えなかった。  貧血で。と言ったところで、ミルクティーの缶を開けた。さっきも飲んだが、好きなものはどれだけ飲んでも美味しい。 「話ってなんですか?」 「ん~……身長伸ばす方法と、胸デカくするのどっちがいい?」 「……帰ります」 「冗談だって! その……日出の事なんだけどね」  珍しく、重い口調で話された内容には、ただただ頭がボゥっとして理解するのが困難だった。  結論から言えば、もう学校には来れない。  それだけなら、泣いていたかもしれないし、一層の影を表情に  忍ばせていたかもしれない。だが、 「彼は人間じゃない」  などと言われたものだから、悲しさよりも理解不能が上回ってしまったのだった。 「じゃあ……なんだって言うんですか?」 「今、身体のあらゆる部分が代 替 品(オルタネイティブnで対応出来る事は知っていると思うけど……日出陽は全部が代替品で、人工品……つまり、その……日出陽っていう人間は存在しないんだよね」 「……は?」  昨今は医療技術の発達により、表面的な怪我は勿論、手術の難しい臓器の傷や、再発の可能性があるがん細胞の治療に眼球の網膜再生も、代替品使用手術(オルタネイト)と呼ばれる手術をする事により、そっくりそのまま入れ替えて治療が可能になっている。 『代替品手術歴・有(オルタネイター)』という経歴が付けば、国から手術部位に不備が起きた際は再手術費用援助も出るなど、非常に待遇は良いものだが、代替品の使用は一か所までと規定がある。身体の全てが代替品になったのでは、この社会から『死』が消えてしまう。  ただでさえ、寿命は延びてこの国の平均寿命は九十を超えてしまった。それに加えて少子化には歯止めが効かず、医療や社会保障の制度が崩壊しつつある。  元気に長生き出来る社会の実現が、その実、もっとも生きるのに適した社会ではなかった。少なくとも、負担を強いられる若い層にとっては。  唯一代替品が無かった『脳』も、試験的に作成され、米国の技術を以て『記憶』を『記録』に変換し、チップとして人口知能を人工脳に搭載する事で人格を形成。  日出陽はその計画──『日 出 計 画(サンライズプロジェクト)』の試作品らしい。  いかに人間に近付けるかが重要だったらしく、本人すら気付いていなかったらしいが。  人間はいちいち自分が人間かどうかなど考えないものだから。 「でも……本物だった。手も、唇も……誰も死なせないようにって一人で戦いに行って……みんなの為に……」 「代替品だからね。量産されて戦争に使われたり、市販に流通されて色々な事に使われるらしいよ。顔も名前も変わるだろうけどね。それにさ、今って働き手が足りないとかで世の中回らないでしょ? だから労働力に使われるとか」 「……なんでそんなこと知ってるんですか?」 「その計画の職員に身内がいてね。ここであんたらの腕治療した時に気付いたよ。この子があの日出陽か……って。同時に、楽しそうに笑ってるあんたが可愛そうにも思えた。一人で戦いに行った時、  勝機はあったらしい。まともに戦えばの話だけど。動くヤツ全部勝手に撃つレーザー持ってたらしくてね。でも、事実を知らされて組織に対して戦闘を仕掛けたらしい。それからは知らないけれど……てのが私が貰った情報。けど、やっぱ強いね。泣かないなんて」  理解出来なくて何の感情も無いのだとは、思わなかったらしい。  話は終わりとばかりに、肩を叩かれると、廊下で見送られた。  トボトボと歩いているうちに、段々とクラスで笑っている二人に苛立ちが募って行った。  その怒りが、教室のドアの音になって表現された。担任の授業中だったが、見向きもせずに、東春海の机に向かった。 「な、なんだよ……」 「戦ってたとこ教えて」 「戦ってたって……なんでそれ知ってんだよ」 「陽に聞いた。一人で行ったんだよ。もう誰も死なせたくないからって。それなのになんで二人して平然と笑って過ごしてんの!?」  春海はようやく、ここで召集が来ない理由に気付いたらしい。目を見開き、信じたくないとばかりに首を振るだけだった。  共に命を預け合い、必死で戦って行き抜いた仲間が、人知れず一人で戦っていたのだ。その中で作られた平和を享受していたのだ。最後には喧嘩別れにもなってしまったが、そんな魂胆があっての事だったのかと思うと、その間、彼女が出来たりと浮かれていた自分に腹が立って仕方なかった。 「仁科冬真(トーマn! 行くぞ。須山もついて来い。今から行く」  鞄を持ち、授業中にも関わらすに、三人は学校を早々に後にした。  [2]
「初めて学校サボったなぁ……」  一般大衆主義のトーマは、電車に揺られながら、窓に映る自分に向かって呟いた。お前は悪い事をしたんだ。というよりは、これで真面目な生徒というレッテルは剥がれてしまったと教え込むように見えた。  それまで優等生の位置を築いて来た彼は、学校をサボるどころか授業中に寝るような事も無い。  平日の昼前の電車は空いているが、ルナだけが座り、二人は取り囲むように立っていた。  戦友だった日出陽とルナは特別仲が良かったことを重々に知っているからこそ、隣に座ってはいけない気がしたし、かと言って変に間を空けて座るのも微妙な感じになってしまうし……ということで、そんな事になっていた。  二人の微妙な気遣いも虚しく、ルナからすれば視界を塞がれ邪魔でしかなくて、こんなに空いてるんだから座ればいいのにといったところだった。 「つーか、なんで今まで言わなかったんだよ。日出陽(イズ)が一人で行ったって事。もう一年近くになるってのに」 「言ったら意味無いじゃん。犠牲を出さないようにって一人で行ったのに」 「須山さんはどうして急に?」  トーマはこうやって核心を突くような質問をしてくるから面倒だ。でも、この際だから洗いざらい全部話してやろうとルナは息を吸った。 「例えばさ……」  自分が人間以外の何かだったらどうする? 本当は人間じゃなくて、人工的に作られたロボットみたいな。  そう訪ねようとした時に、ふと『じゃあ自分はどうなのか』という疑問に陥った。自分だけじゃない。この二人はどうなんだろうか。  陽の手首を切った時に確かに赤い血が流れた。自分と同じものが。けれど、結果的にはそれさえも人工的に作られたものだった。輸血用に作られた、人口の血液なんか今では普通だ。  見分け方はどこにあった? そんなものは無いように作っているからこそ、この三人は見事に何の疑いも無く日出陽という人口体を人間と思いこんでいた。 「例えばなんだよ?」 「あ……陽が人間じゃなかったらどうする?」 「は? なんだよそれ」 「すごい強かったって聞いたから……もう、人間じゃないみたいな感じなのかなって」  質問の答えには全くなっていないという、違和感を覚えている目をトーマは向けていた。目が合わないように、ルナはハルの方を見ていると、顔を赤くしてそっぽ向いた。 「み……見んなよ」 「話してる相手の顔は普通に見るじゃん」 「そうだけど……ちゃんと見ると可愛いな、須山」 「……ありがと」  誰の質問の答えも無いまま、気まずくなったらしいハルは、向かいの席にドカッと座って、わざとらしい寝息を立てた。 「それで、急に行きたいって思い立ったのはどうして?」  この男は逃げない。彼女がいるだけあって、顔を見ようとも優等生の涼しい顔が向くだけだった。 「……陽の正体を知ったから」  今更隠してもしょうがない。二人は、きっと自分よりも陽の事を知っている。二人には知らない面もルナは知っている。そこを照らし合わせたら、また何かわかるかもしれないというのが、ルナの結論だった。  勿論、一般的に付き合っているという男女の関係を話す気は無いが、それなりに情報は与えるつもりだった。  保健医の話をそのまま話してみると、寝たフリをしていたハルは身を乗り出して尋ねる。 「じゃあ、イズはまだあの地下にいるって事か?」 「戦い続けてるとしたら……でも、そんな長時間戦うなんでイズでも無理だよ」  だったら残された結論は……三人は言葉を失った。一つの言葉が頭に浮かんでは振りほどきたいところだ。  自分がもっと早くその魂胆に気付いていればと思うハルと、あの喧嘩別れの時に陽の側についていたらと思うトーマと、止められなかったのかと思うルナ。三者三様に今更後悔が襲って来ていた。  秋葉原駅に着くアナウンスが流れ、乗り換える為に三人は降りた。はやる気持ちが、ハルの歩幅を広める。今更どうしようもないというのに。  ハルは昨年の戦争を思い出していた。初めは見知らぬゲーム機が送られてきただけだった。  ゲームは好きで色々と情報を仕入れてはいるが、見た事も無い機種が唐突に送られて来た事に興奮した。  添付されていた手紙には、『新開発のゲーム機種の試験プレイヤーになっていただけますか?』という旨の文章が添えられ、そんな手紙のせいで疑うことなど全くしなかった。  今になって思えば、応募してもいないのにそんなものに選ばれるはずもないのに。  初めは本当にただのゲームだった。  それまでやった事も無い、本当にリアルな世界観のシミュレーション戦争ゲーム。  ただ、それが新しい戦争兵器のシミュレーターと知ったのは、本当の戦場に放り出されて、陽が開戦一番に敵の顔面を真っ赤なハチの巣にした時だった。  もう、戻れはしなかった。  その仲間に、昔いじめていたクラスメイトの山本太一がいた。  罪滅ぼしになればと、あわよくば、なんとなくノリで謝れる時が来ればいいなと思って、どんなミスも笑って許していた。  それが、目の前で死んだ。  謝る事も出来ないまま。  陽にしても同じだ。太一が殺され、逆上した自分を止める為に撃ったと嘘をついていた。それを疑う事もなく、みんながいる教室で殴り、殴り、蹴り、絶交まで言い渡した。  真相を聞かされたのは夏休みに、ぽつりとトーマが呟いた一言だった。 「ハルを撃ったのは僕なんだ。イズには出来なかった」  そんな事を言われても、当の陽本人は連絡がつかず、学校にも来なくなっていた。一人で戦争に行ったとは考えもしなかった。  結局、ハルはまた一人謝るべき友達を、戦友を失ってしまっていた。  山手線に乗りながら、小走りになって乗り込んだルナを見て、ハルはなんとも言えない気持ちになった。  最後を見送った時、どんな気持ちだったんだろう。あの時、喧嘩しなければ、まだ皆召集されていて戦っていたのだろうか。  いや、そんな事よりも、 「イズが人間じゃないって知って、どう思った? 須山は」  酷な質問をしてしまったと、言ってから気付いたが、また、時すでに遅かった。 「ショックだった……とか言えば良い?」 「悪かったよ、変な事聞いて。俺らよりショックがデカいだろうし」 「……どうでもいい……かな」  トーマとハルは顔を見合わせた。それが小さな身体から来る精一杯の強がりなのかもしれないと思ったから。もう、何も言わなかった。  『どうでもいい』は、ルナの口癖のようなものだった。  世の中は色々とうるさいことばかりだ。それに対して言ってやるのだ。どうでもいいと。大半の事には興味を示さない。興味を惹かれるものが未だに無い。  自分自身の存在が世の中にとって一番どうでもいいのかもしれないとさえ思う。  だから、大好きな相手が例え造り物であろうと、どうでもいいのだ。  そんな世の中になってしまっているなら、そんなものに愛され愛してしまったのなら、それは悲劇かどうかと聞かれたら。 「どうでもいいんだよ、陽が造り物でも人間でも。アタシらはお互い好きだから。世間がどう言っても、アタシはそれでも陽が好き。友達の為に……人間を守る為に一人犠牲になったなら、それは人間で良いじゃん」  自棄になっているような口調でもなく、ルナはただそれだけを言うと、左腕を見せた。  二人は眉を潜めてそれが何なのかを聞こうとしたが、陽が血塗れで戦場に来た日の事を思い出して、納得した。 「愛情表現激しいっつーの」 「愛情は重い方が良いじゃん」 「……重すぎんだよ」 「だからすぐフラれたんじゃない?」 「はぁ!? それが普通だと思うなよ!」 「で、電車の中だし静かにしようよ……」  思えば、以前ゲームの中でもルナとハルの相性は悪かった。陽がいない今、仲介するのは自分しかいないと、損な役回りになってしまったトーマは、溜息を吐いた。  有楽町駅に降り立った三人は、昼間のビジネス街の中でポツンと立ち尽くした。  二人が行かないとルナは場所がわからない。が、その二人は一年ぶりに来た有楽町駅に、戸惑っていた。  本当に、地下に行けば陽は戦っているのか。それ以前に、召集もかかっていないのに勝手に地下に降りる事は可能なのか。  陽は向こうの関係者とも言える存在だからそれが許された。 「ねぇ、早く行ってよ。アタシ場所わかんないんだから」 「あ、あぁ……」  駅を背にして線路沿いに右。左手にあるビル群の最後にある廃ビル。それは元パチンコ屋で、フロア全体が巨大なエレベーターとなり、戦場への道だった。  そのはずだった。  ビル群の端で、二人は足を止めた。 「どしたの?」 「……無い」 「無いって?」 「ここにビルがあって、そのフロアがエレベーターになってて、その地下が戦場だったんだよ!」  ここに……と、ハルが指した場所はコンクリートで埋め立てられた更地だった。ここには何も無かったと言わんばかりに、平らで平坦な何も無い場所になっていて、日陰でサラリーマンが缶コーヒーを片手に談笑していた。 「他には無いの? その地下に行ける場所」  結局あの戦場はどこまで続いていたのかを二人は……戦争の全容を知った陽以外は知らない。 「何も知らない。俺らはここで言われるままに集まって戦ってただけで……」 「陽は……どうなったの? 地下に行けないなら、陽はどうなるの?」  道はもう無い。無言の二人にはこれ以上の進展は望めないと、ルナは駅に向かって歩き出した。  二人は沈んだ顔で後ろを歩いていた。  どこかにあるはずだ。敵が来る為の場所が。ルナはそんな僅かな希望だけを信じ、振り返る。 「ありがと。連れて来てくれて。もう遅いけど、二人は学校に戻った方が良いよ。六時限には間に合うし」 「須山はどうすんだよ」  ルナはただ笑顔を見せ、何も言う事なくまた歩き出した。  赤とグレーのチェックスカートに黒いブレザー。  なかなか可愛い制服だったけど、と、帰宅したその足で、脱ぎ捨ててゴミ箱に放り込んだ。  『PUNK @ gain』[1]
     一方的で実に勝手な自主退学(書類上はまだ在籍中)のまま、夏も終わりを迎えそうだった。  有楽町の帰りから、一週間ほどろくに外出もせずにただぼんやりと過ごしているうちに、ルナは気付いたのだった。  自分は本当に社会にとって、世界にとってどうでもいい存在なんだと。  生徒一人がいなくても学校は変わらずに授業も進むし夏休みもやって来るし。日頃から交流を取っていないせいで誰も心配するような事も無いだろう。  最初の二日間は学校から電話が来ていたが、その連絡はどこかで暮らしている親の元に行ったらしく、それっきりだった。  つまり、もう、この世界にいてもいなくても良い存在。  ルナは自分をそんな風に見ていた。  だったらもう好きに生きよう。このふざけた世界に、全力で抗ってやろう。この声がおかしいと言うなら、そのおかしい声で叫んでやろう。  昔から、憧れはあったのかもしれないと、部屋に飾られたライダースジャケットを見て思った。  魅由さんが見ていた景色。ステージの上ってどんな景色なんだろう。打ち上げのバーにも、女子トイレの個室にも、安ホテルのシャワールームにも連れて行かれたことはあったけれど、ステージの上にだけは同行させて貰えなかった。  メンバーでもないのだから当然と言えば当然だが、当時のルナにはそこが神聖な場所として映っていた。  決して立ち入れない場所。立ち入ってはいけない場所。ステージに立つ資格がある者だけの聖域。 「そこで観てろ」  魅由はルナを客席に送り、ステージという神聖な場所でライトを浴びて歌うのだった。  自分の声が嫌いで、歌うどころか話すこともろくにしないルナにはどう足掻いても到達出来る場所ではなかった。  しかし、今はその声のコンプレックスさえも『どうでもいい』と言い切れるようになった。  だからといって、バンドが出来るかと問われればそれはまた別な話で、ルナもそれがわかっているからやろうともしなかった。  そんな調子で、ネットで『有楽町地下戦争』やシミュレーターだった黒いゲーム機に、『全身代替品使用手術(フルオルタネイト)』など調べても一切情報を得られないまま、バイト以外はほとんど家にこもりっきりで夏を終えたのだった。  涼しくもなったしと、特に意味も無く、都内の喧騒の場でボーっとしているのが好きだった。  特に新宿東口の夕方は物凄い勢いで人が駅から吐き出されるように現れては、駅に吸い込まれていく。  そんな光景をボーっと見ているだけだった。  十月に入って、壁に飾ってあったライダースジャケットに袖を通してみたが、貰った時と大して変わらない体形では今も頑張って着ているようにしか見えない。  それでも良いやと着ながら、今日も新宿東口のガードレールに寄りかかり、ミルクティーを片手にボーっとしていた。  東口を出て、新宿通りを挟んだビルにある街頭の巨大ビジョンが宣伝を続けている。 『エンターテイメントの最新形が遂に日本に上陸! その名も【Virtual(ヴァーチャル) Humanoid(ヒューマノイド)】! このVHが繰り広げる、圧倒的CG技術がお届けするエンターテイメントに誰もが釘付け!』  画面に顔を向けると、新しいアイドルかと思ったが、それがCGであるというから驚いた。ダンスも歌も違和感無くこなす様に、そういうのもあるんだと、ただ眺めていた。 「ま、どうでもいいや」  このまま原宿まで行ってから帰ろうかと思い、駅まで歩き始めた時、路上でビラを配っている女に目が行った。  派手な髪形だった。片側は耳の上までしか無いのに、もう片方は顔を隠すほど長い。それが真っ赤だし、耳にも唇にもピアスのシルバーが光を反射していた。 「スゲー頭……」  ナチュラル金髪に近い日本人の自分が人の事を言えるかどうかは別として、目が合うと面倒そうだと思い、そそくさと駅に向かっていると、腕を掴まれた。それも、割合強い力でほどけそうにはない。 「お前、どこバンだ?」  さっきの女が睨みをきかせて見下ろす。多分百七十近くは有りそうな女の顔は、ルナと同じく黒いアイシャドウがあった。同じ系統だというのはわかったが、こうもいきなり喧嘩腰に来られるのは気分が良いものではない。 「どこバンてなに?」 「バンドやってんだろ? なんてバンド?」 「やってないし」 「ウソつくなって。中学生くらいでバンドやってたらスゲーじゃん」  やってたらね。失礼極まりない相手の態度に腕を振り払い、歩き出す。 「待った! ウチら今日ライヴあんだけど来ない? 中学生料金でチケットは……ん~、五百円! どう? ついでCDも買ってくれたら嬉しいんだけどさ」  まず、中学生じゃない。そんな怒りよりも、このデジャブ感に眩暈がするほどの懐かしさを感じた。 「CD?」 「お! 興味ある? 最近CDで音楽──」 「どうでもいい」 「チッ……んだよ! 今お前から話振ったくせに!」 「もう帰るから」 「一回観てけって! あ~、チケ代いらないから!!」 「他の人に言えば良いじゃん」 「ムリ。なんかお前ウチと同じ空気感じる」  それはルナも否定は出来ず。今や珍しくなってしまった。パンクファッションの生き残りに会えたような気分で、こんな出会い方をされなければもう少しフレンドリーに接してみようかとも思えたのに。  どうあっても帰してくれなさそうなところに、髪の長い男がやって来る。こいつはメンバーだろうと、ルナはその男を見る。  身長百九十はあるんじゃないかと思うほど、近くに来ると大きい。 「モカ、何してんねん。チューボーに絡むなって。ごめんな、気ぃ悪くせんといてや」  どいつもこいつも……。帰ろうとした空気を読んだのか、モカと呼ばれた例の女はルナの腕を掴むどころか、ハグまでする始末だ。 「見ろよ清音! ウチと同じ空気を感じねー?」 「服装だけやろ。化石みたいな格好して……あれか、時空を超えて再会できたんか? おめでとー」 「ふざけんな! こいつは……あ、名前何?」 「ルナ」 「ルナはパンクをわかってんだよ!」  男──清音は面白いおもちゃで遊んでいるかのように、モカに続ける。 「あー、もう一個共通点あった。乳無しやん」  チッとモカの舌打ちが聞こえて、今度は清音の胸倉を掴んだ。 「デカけりゃいいってもんじゃねーんだよ。ルナ、何カップ?」 「……A」  むしろブラすら要らないレベル。 「勝った! ウチBある!」 「デカけりゃいいってもんじゃないって自分で言ったじゃん」  冷淡な口調に、清音は吹き出して笑っていた。 「やるやん、チューボー」 「もう行ってないけどさ、アタシ一応高校二年なんだけど」  せっかく離れたモカが、それに食いついた。 「ウチと同じじゃん!」 「モカ! やめぇや」  清音が睨むとモカは反省の色も無く、ペロリと舌を出す。 「学校って、都内?」 「千葉。舟学」 「ぅわーー! 運命感じる! 学校まで一緒じゃん。入学して次の日から行ってないけど」  アタシは何も感じない。と言い切ろうにもいつまでも腕を掴まれているから帰れもしない。 「帰るから離して」 「ライヴ来たら帰してやる」 「ふざけてんの? 興味無い。パンクとかも何も」 「いや、その格好で言うなよ……」 「高度なギャグやな」  反論出来ないルナは唇を噛んで、自分の掘った墓穴に入って引きこもってしまいたかった。 「なんか用事あんの? 一回で良いからさ」 「ライブって……新宿で?」 「うんにゃ。本八幡のroute40ってとこ」  家の最寄り駅だし、そこでのパンクバンドの女との出会いにはほとほと運命を感じざるをえない。煩そうだから言いはしないが。 「良いよ。今日だけね。もしこれから会っても関わらないで」  返事代わりに、モカは掴んだ手を引っ張り歩き出した。帰宅する為の電車には乗れるものの、寄り道がどうにも面倒である。  どうでもいい自分がいる事で少しでも喜んでくれるなら、それもまぁ良いか。なんていうガラにも無い事を考えて、ルナは首を振った。 「なんだよ?」 「別に。どうでもいいやって」 「そんなヤケクソになんなよ。ま、ライブで騒ごうぜ。行った事ある?」  ややあって、ルナは首を振って否定した。その間を怪しんだの清音の視線は、イヤな奴という印象を抱くには充分だった。  二人に連れられて、ようやく帰宅出来る最寄り駅まで来たというのに、駅を降りれば自宅のマンションはもう見えるというのに、通り過ぎてもう二度と行くことは無いと思っていたライブハウスに行かなくてはいけない。  懐かしい建物が見えてくると、スキンヘッドの男が辺りを見回しながら不審者丸出しで立っていた。 「あ! キヨさん遅いっすよ! もう始まりますって!!」  歳はどうか知らないが、立場はこの清音という男の方が上のようだ。バンドのリーダーなのかもしれない。ルナは何も言わずにそんなやり取りを見ていた。 「モカがアホな事やっててん」 「アホな事ってなんだよ! 客連れて来たのに!」 「半強制やん」  スキンヘッドの男は、『客』と言われたルナを見る。痩せこけた顔と、愛想が良いとかではない、不気味な笑顔が妙に引っかかる。クスリやってそう……というのが第一印象。 「可愛いっすね。自分、ドラムのTADAって言います」 「客や。可愛いとか関係あらへん。時間も無いし行くで」  受付で清音が持っていたチケットをスタッフに渡すと、ルナはそのまま客席に向かった。あまりにも自然に歩いてしまったものだから、清音はまた怪しんだだろう。振り返らずにホールへのドアを開けようとした時。 「ルナ! カッケーとこ見とけよ!」 「……うん」  魅由と仲が良かった時、彼女がボーカルを務めていたバンド『LOST』もまた、同じようにアマチュアのバンドで、同じように事前にチケットを貰ってはタダでライブを観に行くことが多かった。  そのまま、打ち上げが行われるバー『lullaby(ララバイn』について行く流れだったが、今日はさすがに帰ろうと固く決めていた。 「アタシはまたこっちか……」  このライブハウスのステージは低い。上がろうと思えば別に今からでも上がれる。  けれど、バンドをやる事で上がれる僅か五十センチにも満たない高さのステージは、ルナにとっては壁にも等しかった。  ちょうど、モカ達の前のバンドの終盤だった。LOSTは決して上手いバンドではないと当時から思っていたが、どうにもあのボーカルの佇まいに敵う人がいない。それが『カリスマ』というものなのだろうと、今ステージで歌っている女を見ながら思った。  触ったら怪我しそうで、ヒリヒリとヒステリックな声で叫び、時に優しさのある声に惹きこまれ、その表情や振る舞いは淫靡で、別なライブハウスではスタッフに注意されたりしているのを観たことがあった。  ここはライブハウスでストリップじゃないと。  演奏中に、タイトなミニスカートからショーツを脱いでは艶めかしく足を組んでみたり、上半身が裸のままライヴが終わった事もあったし始まった事もあった。  そのスタッフに魅由は食って掛かる事なく、笑って言うのだ。 「おっ立って仕事になんねぇからやめてくださいだろ? なんなら今晩付き合う? その代わり次のチケットのノルマチャラで」  そんな風に怒らずに茶化すくらいの余裕は欲しいものだが、なかなかそんな言葉が出てこないのが、まだ子供で甘い所なのだろうとルナは少々残念がった。  だからこのライダースだって、頑張って着ているようにしか見えないのかもしれない。  そもそも、初対面の人間には中学生に見えるというのもまた残念な話だった。  ステージ前の幕が閉まっている向こうでは、機材をセッティングする音が聞こえている。  パンクのライブイベントだというのに、ギターの音は軽快に童謡を奏でてみたり、三三七拍子を奏でたり。それがなんども繰り返されているうちに、どんどんと音の鋭さが増していく。歪んだと思えば次にはクリーンなトーンに、そして、ひっかくようなキリキリキリと鳴るような不穏なギター音。そこに、ベースの重低音が重なり、ドラムのカウントが始まる。  幕が一気に開かれ姿を現したステージには、先ほどのスキンヘッドのドラマーに、赤い短髪のベーシスト。がTシャツにジーンズとラフなスタイルで顔を見合わせながら頷き合って弾いている。  あの関西弁の男、清音は緩いタンクトップにスキニージーンズを合わせてカジュアルなモード感を演出していた。長身のせいかギターが小さく見える。タンクトップから露出した腕にはびっしりとタトゥーが入っているが、最後方の場所からではそれが何かはわからない。  ギターが小さく見えるのは身長のせいではないと気付いたのは、オープニングだったらしいインストゥルメンタルの曲が終わり、モカが出て来てからだった。  ステージ上の空気感が、あの男だけ違う。  魅由にも似た空気は、イヤなヤツだけれど紛れも無く『カリスマ』だ。 「やるじゃん」  モカも、カッコいい。Bカップを自慢げに叫んでいた女も、ステージ上ではギラギラとした空気を放つ。  ドラムのカウントから、ギターの高速で軽快なリフが展開して行く。  そこに乗る歌声は……。 「魅由さん……」  本人には遠く及ばない。だが、必死に背伸びしてそこに届こうとしている『少女』の姿があった。  ヒステリックにがなり立て、マイクスタンドに身を預けて、気だるげな淫靡さを出そうとしているのが見える。  彼女は間違いなく、知っている。  同じ女性を目指して育ってきた。  そんな個人的な感傷とは裏腹に、客のノリは悪い。LOSTよりも遥かに上手い演奏……少なくともギターだけならここにいることが場違いなようにも思えた。  二曲目が終わり、そのまま三曲目になだれ込んだ時、モカはマイクスタンドを蹴り倒して、一人でステージ袖へと引っ込んだ。  いつもの事らしく、三人は演奏を続けている。  誰も何も思わないステージを観ていると、目が合った清音が出口の方をあごでしゃくる。 「行けってこと?」  めんどくさい。そう思いながらも、渋々ルナはホールを出た。  モカは何も無かったかのように、平然とライブハウスを出ようとしていた。 「どこ行くの?」 「帰る」 「は?」 「客のノリ悪すぎ。やっても意味ねーよ、あれ」 「みんなまだやってんじゃん」 「バンドやりたくてやってんだから別に良いんじゃない?」  そこへ立てるという事がどれだけ素晴らしいことなのか。どんなに願っても立てないと思っているルナには、そのモカの言い分が腹立たしかった。 「わざわざアタシを呼んだくせにそれ?」 「あ~……じゃあ次も来れば良いよ。また今度ライブの予定あるし」  『次』など、生きている者には不確かなものだ。  『次』もライブに行けると思っていた矢先、魅由は目の前で死んだ。  『今度』の休みも遊びに行きたいと思っていたのに、日出陽は帰って来なくなった。  人間、いつ死ぬかわからない。それが、ルナの人生観で、この女はしゃあしゃあと次だの今度だの口にした。 「もう無いよ。アンタは一生盛り上がらないって客のせいにしてにげるだけ。そんなバンドはどうでもいい」 「そんなに怒んなよ……どうでもいいんなら別にいいじゃん」  馬鹿にされている気がしてならない。憧れだった『魅由』を。『魅由』のカリスマ性はその程度で真似できると思われているようで。 「まだ時間あるから戻りなよ」 「今更戻ってどうなんだよ」 「み……本物なら今からでも盛り上げられる。最後まで戦う。例えどんな客が相手でも、最後まで諦めずに歌い切る」  それが魅由だ。  何度もライブに行ったが、満足に盛り上がっているライブなんか観たことが無い。それでも、彼女は変わらない。最後までやり切る。たった一人の観客(ルナ)の為に。  モカは唇を噛み、片方の長い髪を髪をかき上げた。一瞬見えた素顔は、思っていたよりも年が近く見えた。 「そこまで言うんならやるよ」 「うん。観てるよ」  帰還したボーカルに、一番驚いていたのはメンバーだった。  倒れたマイクスタンドはスタッフが立ててくれていた。  さも演出だったかのように、モカは歌い始めたが、そこからも盛り上がる事は無かった。  ステージ上から客席を呆然と眺めるモカに、ルナはあえて手を振った。 「バーカ!」  わざわざマイクを通して言うものだから、それまで無関心だった客たちがざわめいた。  モカがこの日の百数十人の客に対して成し遂げた事は、それだけだった。   全出演者の出番が終わり、客もまばらに、人気のあるバンドのファンや身内ばかりが路上に溜まっていた。  ようやく帰れると思っていたルナは、再び、モカに手を掴まれて女子トイレに連れ込まれた。  なんだろうか、今日のこのデジャブの連続は。  魅由と一緒に入った個室ではなく、奥の壁に押し付けられた。 「なに? 個室じゃなくていいの?」 「いや、トイレに二人で入らねーだろ」  あぁ、そこまでは繰り返さなかった。さすが、本物のカリスマは違うなぁと思いつつ。 「もう帰るから。お疲れ」 「待てって! ライブは確かに一回って言った。でも、友達にならないとは言ってない!」 「……は?」 「は? じゃなくて! ウチとルナは友達ってことで。連絡先交換しようぜ。チャットアプリ(チェインnやってる?」 「誰が友達になるって言ったの?」 「友達ってどっちがなるとかならないとかじゃないって。ルナって友達少なそうだしな」 「帰る」 「ごめん! なんでもするから!」 「じゃあ金輪際関わらないで」 「それで友達になってくれんの? ってなれねーじゃん!」  あーもうそういうノリがめんどくさい。  うんざりしていると、女子トイレのドアが開く。 「何してんねん、帰んで」 「女子トイレ開けんな! 変態!」 「はいはい……ちゃっちゃとクソして出て来ぃや」  ドアが閉められ、ルナは溜息を一つ。まぁ、どうせ暇だしいいかと。 「なんでもするの?」 「ま……まぁ出来る事なら」 「キスして良い?」 「へ? いや、ウチ女だけど」 「知ってる。なんでもするんでしょ?」 「いや……え? マジで?」 「うん」  逃げ場を失ったように、困惑した顔を見せた後、モカは目を閉じた。 「ど……どうぞ……」  そこまでしてなんで友達になりたいんだろうと思いつつ、ルナは、緊張感が漂うモカの頬をつねった。 「ウソだよ、バーカ」 「いってぇし……ふざけんな」 「早く出よ。あいつまたうるさそうだし」 「人の事バカにしてんだ──」  ルナは、基本的に人に上に立たれる事が気に入らない。ここで牽制しておけば黙るだろうと、モカの襟が切られてボロボロになっているTシャツを掴んで、顔を引き寄せる。そのまま、躊躇いなくキスした。  あまりに突然の事に、モカは目を白黒させて言葉を失った。  唇の柔らかさを初めて感じ、口をパクパクとさせているだけだった。  殴られた事は何度かあって、目の前が真っ白になる衝撃も知っている。これは、それ以上の衝撃で、心臓の鼓動(BPM)が一気に速くなった。 「これで友達ってことで良いよ」  僅か十五センチの距離から放たれる、目を細めてきっと笑っているんだろうなと思うルナの表情は、自分が目指している人のライブ中のあの表情にも似ている。  ウチよりバンド向いてんじゃねーの? と思いながらも、口に出たのは 「……う……ん」  などという惚けた返事だけだった。 「じゃあ行こ、モカ」  手を取られ、力が抜けた足でよろよろと歩くと、トイレの前では清音が腕を組んで待っていた。 「……何してたん、モカ?」 「別に……何も……」 「アタシ、モカと友達になったから。よろしく、ギターさん」 「清音や。清い音と書いて清音。もうギターやるしか無い名前やろ?」 「ピアノでもなんでも良いじゃん」 「ピアノも出来るで。ベースもドラムも出来る。ライブじゃ一人でやるのは無理やからメンバー連れてるだけで、曲はアレンジまで全部俺がやってる」  天才肌という言葉がピッタリな男だ。モカと仲良くするとなると、この男との接触も避けられないだろう。  どうにも好きにはなれないが、仕方ない。 「もう今日はアタシ帰るから。じゃあね」 「俺んちで打ち上げやるから来たらええやん」 「どこ?」 「渋谷」 「ヤダ。帰る」  わざわざ今からまた自宅を通り過ぎてまた都内に戻るバカがいるわけがない。もう誘われまいとそそくさと帰ろうとすると、モカは言う。 「そういやルナの家ってどこ? 学区的には近いんじゃねーの? 駅まで一緒行こうよ」 「……ヤダ」 「なんで? ウチらもどうせそっち行くんだし」  チラリと、面倒そうな男の方を見て、ルナは頭を垂れた。よくわからないベースとドラムはまだしも、清音はよく絡んでくる。 「アタシの家、本八幡だから駅まで行かないし」 「よし、今日の打ち上げ場所はチビんちで決まりやな」 「ふざけんな! アタシ帰るから! ついて来ないでね」 「待って! 連絡先聞いてないって!」 「L・U・N・A・1・2・2・4。それじゃあね」  『またね』とは言わない。こっちからも連絡はしない。仲良くなった相手に、またいなくなられるのは勘弁だ。  アタシと仲良くなったばかりに死んでしまうのかもしれない。なんて思い始めて、尚更人付き合いがヘタクソになってしまっているのも痛感している。  チャットアプリ(チェイン)に連絡が来たのは、それから五分後の、家にも着いていない頃だった。  『ウチ! モカ。登録しといて! でさ、次いつ会える?』  面倒なのに好かれたなぁ……うんざりした言葉を吐いた唇は口角を上げていた。  [2]
 翌日、昼近くに目を覚まして携帯端末(モバイル)を見ると、メッセージ受信の通知が八件も来ていた。明け方三時までやり取りをしていたにも関わらず。 「もっと寝ようよ……」  三時の通知の次は五時。それから一時間置きに一件ずつ。陽とすらもそんなに連絡を取り合わなかったというのに。  延々とやり取りをしたにも関わらず、ルナは過去のLOSTとの関わりを言わなかった。  『LOSTってバンド知ってる?』  『そのバンドのボーカルの魅由さんがカッコいいんだよ。ウチの目標でさ』  なんて話をされたものだから、言えなかった。  『もうその人は死んだ』  その現実があまりに酷な事は、ルナが一番知っている。目の前で、待ったいた人生の終わりがやっと見えたかのように、笑んで死んでいったのだから。  それから二・三のやり取りの末、文字を打つのが面倒になって結局、昼過ぎに渋谷の清音の家兼練習スタジオに遊びに行く事になった。嫌々ながらも、戦闘態勢をとるべくメイクをする為に、鏡に映る眠たそうな顔の自分を見た。 「……なんで中学生に見えんのかなぁ……」  中学生がこんなメイクするはずないじゃんと思い、遡ってみれば、今よりももっと下手だったがメイクをしては魅由に笑われていた事を思い出した。 「今はまだガキなんだから無理すんなよ。メイクはそのうち似合うようになるって」  そんな言葉を思い出しても、ルナはやっぱりメイクをする事をやめなかった。 「あの時よりも似合ってるし。うん!」  自信が付くのだ、このメイクの自分になら。  あの憧れていた人に少しでも近付けているような気がして。    渋谷のハチ公口を出て、ルナはあの目立つ頭の女(モカnの姿を探していた。  二〇四六年になっても、待ち合わせ場所のシンボルは健在だ。平日の昼間の今でもサラリーマンが待ち合わせに使っている。 「ルナ!」  呼ばれた方を見ると、片方の長い髪は後ろに結い上げられ、一段と妙な事になっている。片側は刈り上げられた短髪。もう片方はポニーテール。しかも一晩にして黒よりも黒い色(ブルーブラック)の重苦しい色。 「顔出すとガキなのバレるよ」 「一緒じゃん、ルナだって」 「うっさいなぁ……」 「ごめんごめん! じゃ、キヨんち案内するよ」  ハチ公像を通り過ぎ、スクランブル交差点を渡り、井の頭通りへ歩く。コンビニのある雑居ビルの一つにモカは入る。小さなビルで、コンビニの横にある階段で地下二階に向かった。 「着いたよ」  元々は何かの店だったはずの建物で、決して住居用の部屋ではない。開けると、打ちっ放しのコンクリートの壁の一面は鏡になっていて、ワンルームの部屋は完全にバンドの練習スタジオだ。  ドラムやベースにアンプ。生活空間を分ける為か、テーブルとソファが端にあり、部屋の主を象徴するように、V字のギター、七弦、そしてアコースティックギターの三本壁に掛けられている。いずれも黒いボディに同じトライバルペイントが施されている。 「ただいま!」 「お~、チビ。よう来たな」  清音と談笑していたベースとドラムも立ち上がり、会釈する。 「オレはベースの花田一朗で、イッチって名乗ってます」  ホワイトボードにその名前を書いてくれたが、見た目よりも腰が低いことに少しルナは拍子抜けした。 「自分、ドラムの芝崎正でTADAっていいます」 「で、俺は平間清音。で、ボーカルが大河内も──」 「モカ! 自己紹介くらい自分でするっつーの!」 「してへんやん。桃華やろ、お前は。大河内桃華」  顔を真っ赤にして反論の言葉を探すモカに、ルナは尋ねる。 「モカって本名じゃないの?」 「桃華じゃカッコよくないからモカやって。なぁ、桃華ちゃん」 「うっせぇよ、ギター馬鹿! ルナだって本名じゃないだろ? ハルナとか?」 「本名だけど……須山ルナ。一緒にしないで、桃華ちゃん」  この場の立ち位置は大体把握出来た。  一朗と正は清音の下。モカはその間。桃華と馬鹿にしている間も、二人は笑いたいけど笑えない感じだったから、ルナはそう見た。  清音の絶対王政的なポジションはどうにもならないだろうから、まぁ、これで様子を見よう。  そこまで考えた時、ドアが開いた。TADAが飛び出すように出迎えに行くと、ピザを持って振り返った。 「ご飯食べるんなら言ってよ。アタシの分買って来たのに」 「チビの分もあるから遠慮いらんで」 「え?」 「遊びに来るんやからメシくらい用意するわ」 「そうっすよ、ルナさん。さ、椅子どうぞ」  イッチが四つしかないパイプ椅子のうちの一つを差し出す。ここに普段客は来ないのだろう。 「……ありがと」 「ちょっと、イッチ! ルナに惚れたって無駄だからな! 彼氏いるんだし」 「いや、そんなつもりじゃないっすよ!」  彼氏とは遠距離恋愛中という事にしておいた。いると言っておけば、面倒な話題になった時に必要以上に踏み込まれることは無い。何より、『いない』と言ってしまうのは、未だに地上に戻ろうと戦っているかもしれない陽を否定する事になってしまうようで。  紙コップにお茶を注いでもらい、全員の手に行き渡った所で清音が手を叩く。 「まぁ、昨日の打ち上げっちゅう事で。お疲れ。そんで、チビにはこれからもよろしくっちゅう歓迎を込めて。乾杯」 「「「お疲れ!」」」  モカ達三人が続く。あ~ぁ、完全に仲良くして行くしかないと、ルナは飲み慣れないウーロン茶をすすった。  ルナが一切れのピザをチビリチビリ食べている間に、三枚あったものがもう二切れしか無くなっていた。 「ルナ、ピザ好きじゃないの?」 「普段甘いものしか食べないから」 「だからチビやねん」 「……別に良いじゃん」  清音も、最初に一切れ食べたっきりで手を付けない。落ち着かないというように、壁に掛けてあるアコースティックギターを手に取り、BGMを鳴らしている。  イッチとTADAがいつの間にかビールを飲み始めている間に、清音はルナの隣に椅子を動かした。 「昨日、モカに何言った?」 「何って?」 「いつもステージに戻って来ることなんか無いからな。何言うたんかなって」  そのモカはと言えば、隅っこで難しい顔をして紙とにらめっこしている。 「何やってんの?」 「作詞やな、あれは」 「……何も言ってないよ。頑張れって言っただけ」  魅由もあんな風に悩んで歌詞を作っていたのだろうか。自分の知らない面はどれだけあったのだろうか。あの人は一体何を思って中学生と仲良くしてくれていたのか。今では知る事は出来ない。  清音は聞いても無駄と悟ったのか、ギターを鳴らしながら元の席に戻った。  ピックを指で弾き飛ばし、モカのポニーテールに突き刺すと、ギターのボディを指で叩いた。軽快に、弦を弾くそれがとんでもなくリズミカルで、まるで手が別の生き物みたいに見える。見ていたルナの身体も自然と揺れた。  清音がそれを見逃すはずもなく、一瞬ニヤリと笑うと、更に音のグルーヴは増す。 「うっせーよ、キヨ! それやめろって。そんなのパンクじゃねー。なぁ、ルナ」 「う、うん」  正直、もっと聴いていたかったというのが本音だ。パンクじゃないと言われたら、否定は出来ないが。 「あー、ゴメン。ウチそろそろバイト行く時間だ。帰って来るまで待ってて。四時間くらいだから」 「え? わざわざ呼んだくせに?」 「ちょっと行って来るだけ。待ってて!」  その為に髪を結っていたのかとも思ったが、あれなら下ろしていた方がまだ異彩を放たなくて済む。ピックが刺さったままの頭で、モカは出て行った。 「なんのバイト?」 「事務系のバイトらしいで。ようわからんけど」 「それよりさ、さっきのもっと聴きたい」 「さっきの?」 「ギター叩いて弾くやつ」  興味を持たれた事に、清音は嬉しそうに舌を出す。やったる。と言わんばかりに立ち上がり、足を開き、腰を落とし、右手を上げる。  振り下ろした腕が、弦を叩いているだけのように見えるが、一瞬で、弦を指で弾き、音を出す。スラップ奏法はそもそもベースの奏法で、ギターでやるのは珍しい。少なくとも、パンク畑で育ってきたルナには物珍しい事この上ない。  リズミカルなギターフレーズを奏でたまま、清音はドラムの椅子に座り、バスドラム(キック)の重低音を交える。それがまた心地良い音になる。 「イッチ、ベース置いてや」  言われるままに、清音の横に、ベースが置かれる。その弦を(はじ)いて、アンプから腹を抉るようなベース音を出しては、そこにキックとアコギの音を重ねて行く。  一人バンドとでも言えたその姿に、ルナは身体を揺らした。 「イッチ、チビにベース貸してやって」  言われるままに、ルナにベースが渡され、何をすれば良いかもわからないまま、ストラップを肩にかけた。膝に置いたベースが重い。立ったら多分倒れそうだと思って、座ったまま清音に目をやった。 「なんでもええで。弾いてくれ」 「どうやって……」 「なんでもええよ。左手でどっかの弦押さえて右手でその弦を(はじ)く。それだけや」  イッチがピックを渡してくれた。よくわからないままに、二弦を押さえながら、三弦を勢い良く弾いた。 「押さえたとこ弾けや。はい、もう一回」  三弦の三フレット目を、よくわからずになんとなく弾いた。  ボ~ンと鳴り切らない音に合わせて、清音はギターの音を重ねた。 「Cか。もっと続けて鳴らしてええで」 「Cって?」 「今は気にすんな。なんでもええからテキトーに鳴らせ。俺がそれに合わせる。セッションや」  少年のように楽しそうな笑みが、本気で楽しんでいる事を伝える。ド素人の鳴らしただけの音がをセッションと言いながら。  ルナは何が何の音なのかもわからずに、フレット上の弦の上で手を滑らせた。 「ワンパターンやな。二十フレット×四弦で単純に八十個の音を出せるんやで? まだ八つしか使ってないやん」 「うっさいなぁ……」  だったら……これまでネック付近でウロウロしていた手を、思いっきりボディの方に滑らせる。音の低さが増して、アンプの音が更に腹に響く。 「単純やな。お前は手元しか見てないから狭い所の音しか出せへんねん。もっと視野を広く持ってみ」 「別にベースがやりたいわけじゃないし……」 「でも楽しいやろ?」  その心を見透かされたような態度が気に入らない。  唇を噛み、頭を振り、勢いを付けて、弦の上を走る左手に力を込めた。  音の輪郭がはっきりとして来る。これまで押さえ切れてなかった。手が痛い。でも、どうでもいい。ギターの音と、バスドラムの音が乗って来る。アタシが弾いた音が曲になっているみたいに。楽しい。抑えきれず、立ち上がった。よろけたが、足を開いて踏ん張った。 「TADAちゃんドラムやってや。イッチはベース。チビはマイク持て」 「は?」  渡された紙を見ると、そこには汚い字で歌詞が書いてあった。  『LOSER』というのが曲名らしい。 「歌うって……アタシそんなのムリ……」 「メロは俺が歌ったるからとりあえず後に続け。モカもその方法で新曲の練習やってる」 「変な声だしさ……」  ドラムとベースの音がうるさくて、マイクを通して言ってみた。初めて聞いた自分のマイクを通した声は、そりゃあ変な声だと言われてもしょうがないと、マイクを放り投げたくなった。  しかし、清音は笑って言う。 「マイク通して聞く声なんか誰でも最初は変な声と思うもんや。でもな、そう思うんは自分だけで、俺らはそんな事思ってない。むしろ、透けるような綺麗な声してんで」 「綺麗……アタシの声が?」 「おう。それもある意味才能や。努力で手に入らん、お前だけの武器や。俺ら楽器隊はこういう音出したいと思ったら機材を揃えりゃある程度なんとかなる。でも声質はどうにもならんねん」  エレキギターに持ち替えたはずなのに、喋りながら奏でられるギターの音が優しい。 「アタシ、昔友達に変な声って言われて……それで変な声なんだなって思ってた」 「そいつの耳腐ってんねん。自信持て。お前は今からロックスターや」 「だから歌った事無いんだって……学校の授業でも黙ってるだけだったし」 「ライブとか観た事あるやろ? 気分だけでもロックスターになりきれ。やれるな? ルナ」 「上手くないし……」 「声を出せ。聴かせろ。それだけでええ。初めて歌うんやったらな。いきなり上手い奴なんかおるわけがないんや」  ズルい男だ。乗せ上手とも言える。この時の為に今まで敢えて名前で呼ばなかったとでも言うように。マイクを持つルナの手にも力が入る。握り締められたそれがこれからの人生を切り拓く武器にも成り得る。 「やってみる」 「ええやん。行くで」  清音がドラムのTADAにアイコンタクトを送ると、カウントが刻まれる。  話している時の清音の声は少ししゃがれた声だが、それが歌声に変わると妙な色気が出る。透明感のある声と言われたルナには出せない声は、モカとも魅由とも違う。  清音の歌うメロディを追うように、ルナは歌う。そういえば音楽の授業もこんな感じだったなぁと思い出しつつ、みんなが歌っている中口すら開けなかった自分が、今はこうしてマイクを握って歌っているという事が信じられない。  ま、どうでもいっか。  ワンコーラスが終わると、清音は言う。 「最初っから通しで行くで?」 「良いよ!」 「ええ顔してるで」   ドラムのカウントが始まって曲が仕切り直される。  さっきよりも伸びやかに出る声に、清音は眉を上げた。TADAもイッチもルナを見ては顔をほころばせた。上手くはない。上手いわけがない。初めて歌っているのだから。それでも、楽しげに小さな身体を揺らし、マイクに声を乗せる彼女の姿は魅了するものがあった。  ワンコーラス歌い終わると、再びイントロに戻る。 「次は一人で歌え」  壁一面の鏡に映っているルナは笑っていた。それが自分でおかしくて、身体が熱くなって来てライダースジャケットを脱ぎ捨てた。  身体が軽くなった。自分に不相応なものがどれだけ邪魔だったかと思い知らされた。 「良いよ!」 「おっしゃ! TADAちゃん行ってや!」  カウントに合わせて、清音が足でリズムを取る。曲の入りと同時に跳ぶ。まるでここはライブハウスのステージであるかのように。身体を揺らし、髪を振り乱しギターを全身でかき鳴らすように。  時折見える顔は笑っていて、三人のボルテージも上がる。  ただの自宅兼練習スタジオに熱がこもって行く。 「もう一回!」  ルナが手を上げて、声をマイクに乗せる。言うよりも先にカウントは始まっていた。誰の気持ちも同じだった。  曲が終わった時、清音は楽しげにいつまでもギターを鳴らしていた。  鳴り止まない音を、清音は物足りなさそうにボリュームを下げて行った。 「遊びなんだからそんなに本気やんなくていいじゃん」 「い~や。俺の前には常に百万人のオーディエンスがおる。そいつらを全員沸かせたる。俺はそんなパフォーマンスを目指してる」 「じゃあさ、実際のライブとかつまんないんじゃないの? 客あれしかいないんだし」  先日観たライブの客は、百万人どころか百人程度。その誰もが清音たちを観てはいない。しかし、清音は笑って、 「言ったやろ。常に百万人のオーディエンスがおるって。実際に客が一人だろうと一万人だろうと関係あらへん。常に百万人や」  そう言い切る清音に、TADAが訪ねる。 「なんで百万なんすか?」 「昔はミリオンセラーとか言うて一枚のCDを百万人が買ってたりしてた時代があったらしいで。もう……五十年も前らしいけどな。おもろいやん? そいつらみんな同じ曲を良いって思って買う。そいつらの前でその曲は楽しめるものや。百万人を楽しませられる。一曲たった四分そこらで。俺が作った曲で。俺が出した音で」  二〇四六年の今では、音楽はダウンロードして聴くという人もそうはいなくなってしまった。  昨年一番売れた楽曲はわずか十万ちょっと。毎年どんどんとその数が減ってしまっているのは、ダウンロードどころかストリーミングで聴いて終わってしまう時代になっている。様々な娯楽が簡単に手に入る時代であり、音楽はその一端でしかない。  清音はそんな時代の中でも音楽に特に魅了された、数少ない人間だ。 「でもさ、百万人も入れるライヴハウスなんか無いじゃん」 「ライヴは別にどこでもやれる。なんなら駅前でもやれるしな」 「駅前でも百万人集められないっすよ」 「例えや。いつかはでっかいとこで人集めてやるんや。百万人が盛り上がるライヴを」  話は終わりとばかりに、ギターのボリュームを上げて、ジャーン……とようやくライヴが終わったかのようにギターを下した。 「その百万人が自分らの音で盛り上がるんすね……」  TADAも、イッチも顔を見合わせて頷いた。清音は「便所」と言い残して部屋を出た。 「三人はどういう関係なの? あ、そういえばバンド名も聞いてないけど、なんていうの?」  ルナはどちらにともなく尋ねると、目配せをしてTADAが答えた。 「元々自分ら二人は別なバンドをやってて、それが解散して、メンバー募集したんす。ちょうどギターとヴォーカルがいるってことでそのまま結成って感じで。バンド名はLEOで、そのまま獅子って意味っす。百獣の王って意味ではキヨさんピッタリっすね」 「モカと清音は一緒にいたんだ」 「初めはモカちゃんもギターやってたんすけどね。キヨさんがあんな感じだからギターの音が邪魔だって。ヴォーカル一本にさせたんす」  納得の理由だった。魅由に憧れながらギターを始めていたのは意外だったが、部屋の隅っこに置かれたギターはモカの物だろう。 「モカはギター上手かったの?」 「ん~……自分はギターの事はあんまり……どうだった?」  と、同じ弦楽器のベーシスト・イッチに話を振る。 「上手くはないけど、まぁ弾けるなってくらい」 「弾けるだけや」  清音が戻って来ると、二人の空気に少々の緊張が漂うのは立場的なものなのかもしれない。 「俺が教えたんや。俺が一人でストリートで弾いてたところにあいつは来た。ただ見てるだけ。邪魔やねん。ビビらせたろ思ってスラップやったら帰ったんやけど……次の日にギター持って来やがって……」 「教えてって?」  清音はオーバーに手を振って否定する。 「それならまだ可愛いもんやった。見ながら目の前で真似し始めてな。弾けもせえへん、チューニングも狂いまくったギターでそんなんされたら営業妨害や。んで、話聞いてみたら家出した言うて……保護したったってわけや。もう三年になるか」 「三年て……モカまだ十四才じゃん!」 「そこやねん。バレたら逮捕モンやから外では歳の話すんな言うてんのに……」   だからあの時怒ったのかと合点が行った。暗黙の了解なのだろう。それをモカはあんな調子だから破ってしまう。その話を聞き、ルナは部屋を見回す。ここは清音の家だと言っていた。 「モカと二人でここで暮らしてんの?」 「そうや。風呂もそこの扉開けたらあるしな。まぁ、少々改良は要ったけど住めるようにはなってる」 「……三年も二人で? ここで?」 「想像してるようなやましいことはなんも無いで。俺の恋人はこいつやからな」  と、さっきまで鳴らしていたアコースティックギターを清音は指す。ギター馬鹿と言っていたのはそのせいかと、納得するしかなかった。 「やましい事ないのは知ってる。別にどうでもいいし」  親に追い出さるように一人暮らししている自分も大概だが、随分な生活をしている。というのがルナの感想で、ただそれだけだった。  それから三人はライヴやこれまでのエピソードを話してくれたが、バンドとしてはLOSTよりも売れそうだった。唯一の問題は、 「モカはいつもあんな感じなの?」 「そうやな。満足にライブ出来たのなんか……こないだチビが観に来た時で三回目か。一回目は初めてのライヴ。二回目は去年たまたま盛り上がった時。で、三回目が昨日」 「毎月二回ライブやってるからもう三十回近くやってるんですけどね……」 「それで売れるわけないじゃん……」 「一回盛り上がったから勘違いしてんねん。自分は行けるって。だから盛り上がらなかったら客が悪いになる」 「……言わないの?」 「言って変わるならもう変わってるわ。パンクってそんな滅茶苦茶なモンだってのがあいつの主張で変わる気も無い」  話ながら爪弾かれるギターの音色も、自然とトーンが落ちて行く。清音とギターは一心同体と言っても良いように、まるで自分の手足のように奏でている。  そこに、渦中のモカは帰って来た。 「ルナまだいる!?」 「いるよ。帰ったらうるさいし」 「冷たいよな~、友達なのに。みんなで何してたの?」  歌った事を言おうかどうか一瞬の迷いすら見せまいと、清音はギターを鳴らす。 「話してただけやで。あんまりチビが話さへんから俺らばっか喋ってたけど……な?」  そういう事にしておくべきなんだろうと、ルナは頷いた。そして、他の二人も同様に笑って、 「ルナさんガードが固すぎて無理っすね」 「ちょ、TADAちゃん! ルナは彼氏いるんだって!」 「あー、そうだった!」  演技力皆無のTADAがこれ以上話さないように、エレキギターを繋げられて、アンプのスイッチが入れられた。 「モカ、練習や。チビに見せたれ」 「オッケーオッケー!」  百万人のオーディエンスの前に、清音は今立っているのだろうと、右手を高々と上げる姿を見てモカ以外の三人は思った。  モカは、ルナという一人の友達の前でいつものようにがなり、声をしゃくりあげて歌う。  スラップを封印した清音は、軽くステップを踏みながらも、先ほどまでの動きは無い。モカが駄目だと言うのかもしれない。  どこかつまらなそうな清音を見ていると、さっきの全力で楽しむ姿の方が遥かにかっこよく見えたし、一人のギタリストとしての魅力を殺してしまっている。 「どう? ルナ」  三曲終えて、モカが満面の笑みで言うも、良かったなどとは冗談でも言えない。  何を目指して、どんな姿をイメージしているかがわかるからこそ。 「モカはもっと違う感じにした方が良いと思う」 「え? どういうこと?」  想像はしていたが、一瞬にして表情が曇った。これから言う言葉次第ではすぐにでも手が飛んできそうな。 「上手く言えないけどさ……なんとなく」 「なんだよそれ。ルナは唄とかバンドとかやった事ないからまぁしょうがないか」  その言葉に、素知らぬ顔で清音は笑っていた。少しばかり、彼の意図が読めてしまったような気がして、ルナは途端に居心地が悪くなった。 「アタシ、そろそろ帰るね。練習するなら邪魔になるし」 「あ、駅まで送ってくよ」 「いいよ。大丈夫。またね」  ライダースジャケットの重さを噛みしめながら袖を通し、ルナは足早に階段を駆け上がり、地上に出た。  店の看板も何もないビルの地下から上がって来たルナに、通行人は驚いた様子だったが、すぐに気にしなくなるのは都会ならではかもしれない。  裏切りとも取られかねない。既に、『LOSTなんて知らない』という嘘をついているルナには、楽しそうに演奏する清音の姿は伝えられない。それが、自分が歌っていた時なら尚更。  駅まで歩くまでの間に、不意に肩を掴まれて振り返った。肩に乗っていた手の大きさから、清音だろうとわかってはいたが。 「なに?」 「忘れモンや」  鞄は開けていないし、財布を忘れる事も無い。モバイルはジャケットに入ったままだ。  手に渡されたものは、一枚の紙だった。URLの書かれた一枚の紙に、困惑した表情を向けた。 「モバイルでもダウンロード出来るから聴いてみ。俺らの曲や。ほなまたな」  LEOの曲という事だろうかと思って、帰って聴いてみると、それはたどたどしいベースに合わせて清音が弾いたギターの音色と、次の曲から聴こえて来たのは自分の歌声だった。  ベッドに倒れ込んで足をバタバタさせつつも、楽しかったなぁ……と、何度も繰り返し自分のヘタクソで、楽しそうな歌声を聴いていた。  [3]
  「あの、初めてなんですけど……どうしたら良いんですか?」  ルナがバイト以外で再び外出したのは、それから三日ほど経ってからだった。家にいる間はネットで色々な音楽を聴き漁った。  それまで、LOSTというアマチュアのパンクバンドから始まったせいでルナの中にある『音楽』はパンクしか無かったが、清音のギターを聴いて世界が広がったのを感じた。  もっと色々な歌を聴きたいと思い、三日間、家にいる間はバンドや歌手を探しては聴いた。  清音が言っていた、もう五十年も前のミリオンセラーの時代の曲はあまり好きでは無かった。正確に言えば、ミリオンセラーになった曲は好きでは無かった。  一般大衆に受けるようなものが好きではないからこそ、結局パンクに戻ってしまうのだろうと思い、聴くバンドを絞り込んだのが昨日の事で、三つのガールズパンクバンドの曲を覚えて、『カラオケ』に初めて来ているところだ。  昔から、クラスの連中がよく行っているというのは聞いた事があった。まさか、そこに今自分が一人で来ているというのも、妙な気分だった。そもそも一人で行くことは珍しいらしい。 「お時間どうされますか?」  店員の男性が、機械のように事務的に言う。 「え……普通で」 「……一時間でよろしいですか?」 「あ、はい!」 「こちら会員証になります。次回からご提示お願いします。ではごゆっくり」  ルームナンバーの書かれた鍵が渡され、たったそれで受け付けは終了。見取り図を見ながら部屋に辿り着くと、暗く狭い部屋の中でテレビ画面だけが光を放っていた。 「……どうしたらいいんだろ」  何をするにも初めてでよくわからない。備え付けのタブレットを見ると、これで曲を決められるようだとわかり、ルナは早速昨晩覚えた曲を選ぶ。そこそこ名の知れたバンドだけあって曲は充分にある。  音が流れ、生の楽器の音には敵わないなと少しがっかりしながら声を張った。誰にも聴かれないというのは何の心配もしなくて良い。どんなに変な声だろうと、ヘタクソだろうと誰も何も思わない。  普段からろくに話さないせいで、三曲で喉が痛む。こんな事ならもっと鍛えておけば良かったと思った時、不意に涙が零れた。  初めて、人生で後悔に気付いた。  今更取り戻しようもない時間に、裏返るか細い声を張り上げた。  魅由に憧れた時、勇気を持ってバンドを始めていたら良かったかもしれない。  もしかしたら、彼女がもっと色々教えてくれたかもしれない。  死を悟ったような表情をしたのは、彼女には後悔が無かったからだろう。  彼女にとって、自分(ルナ)は未練になりえたわけでもなかったのだ。  だが、今生きているのは『今』でしか無い。もしも(ifnは絶対にありえない。考えるだけ無駄だ。それがルナの持論だ。  マイクを握る手に力が入る。生ドラムの音に埋もれてあまり聴こえなかった自分の声は、ここではよく聴こえる。ヘタクソな歌声が。六曲で声がかすれている。もうやるだけ無駄な気がした 「なんでモカが……」  アタシなら途中で投げ出したりしない。もっともっと練習だってする。自由奔放に振る舞いながらも、あのギタリストを連れている事がもったいないと思えた。  事実、清音のスラップ奏法は今のバンドでやっている人はほとんどいなかった。もっと世に出るべきなのに、あのヴォーカルでは売れるわけが無い。 「アタシも無理だけど……」  肩を落としながら、力無くドアを開けてフロントに戻った。 「もういいです……」 「お時間まだありますけど」 「帰ります」 「では、お会計は入会金含めて三百円になります」  代金を支払い、帰ろうとした時、ロビーのモニターには『VH』の映像が流れた。  『次世代の歌姫、華桜凛音(かざくらりんね)!! 圧倒的歌唱力とヴィジュアルを兼ね添えた彼女が満を持してバンドデビュー! その名は『GUILTY』。彼女たちの存在は、音楽界の大罪となる……』  相変わらず、CGには見えない。CGという設定の人間じゃないのかと疑いたくなるほどだ。  だが、その圧倒的歌唱力とやらはコンピューターで創られたものだ。人間とはもう根本が違う。 「良いなぁ……アタシもちょっと弄ったら声出るようになったら良いのに」  声帯の代替品手術(オルタネイト)なんて言うものがあるなら、使うかと問われたら、答えは即座にノーを叩き付けるが。あくまで、自分のままでいたい。例え、明日死ぬとしても。いや、明日死ぬかもしれないからこそ、自分のままでいたい。 「自分自身のままで(キープ・マイセルフ)……」  魅由の書いた歌詞の中にもあった言葉を、ルナは枯れた声でつぶやいた。  翌日から、ルナは毎日のようにカラオケに通った。声を出す事に喉を慣れさせなければいけない。  少なくとも、モカよりも上手くなりたい。その思いは声に力強さを与えて行った。  それが五日ほど経ったところで、喉は完全にショートしたかのようにコントロール不能になっていた。悔しさもあったが、自分の限界が知れたのは良い機会だった。  帰ろうとした時、モバイルが振動した。チェインにモカからメッセージがあったのだ。  『今から遊べる? 久々に会おうよ』 「久々って一週間くらいじゃん」  丁度、原宿にも用事があったし、そのついでに渋谷に行くのも良いだろう。ルナは『良いよ』とだけ返事を送ると、  『じゃあ清音んち来て!』  と返事が来たのを見て、カラオケボックスを後にした。  久々に、原宿のパンクファッションのショップ『PUNXX』を訪れ、服を買ったその足で清音の家に向かった。  魅由がよく着ていたブランドだけあって、モカの服もそこで買った物が多く、彼女の服の値段もいつ発売された物なのかも大体わかった。それはルナも同じで、お互い様とも言える。  地下二階のドアを開けると、練習中だったらしく、ハイテンポな曲が遠慮の無い音量で溢れ出した。  全員がその客の姿を目で見ては、会釈し、モカがパイプ椅子を指した。  相変わらずの歌声、そして、今日はドラムのリズムが少々モタついている。調子が悪いのかな? そう思いつつ、指が自然とリズムキープしていた。  鏡に映る清音の口元が笑っているのを見て、ルナはその指を止めた。  一曲終わると、モカはマイクを置いてルナに駆け寄った。 「次のライヴのチケット来たからさ、ルナにあげるよ!」 「ありがと。空けとくよ」  その声に、モカは眉をひそめた。 「どしたの? 声ヤバイって」 「大丈夫。大したこと無いから。ただの風邪」  喉が塞がっているような感じがして、発声をしにくい。 「その風邪、めっちゃ厄介やで」  事情を察した清音が笑いながら言った。 「マジで……それなら言ってくれたら良かったのに……」 「モカ、悪いけどなんか飲みモン買って来てや」  放り投げられた財布を受け取り、モカは出て行った。邪魔は居なくなったとばかりに、清音はギターを置く。 「バンドでも組んだんか? 無理して歌っても喉壊すだけや。何事も休みは必要やで」 「……よくわかるね。でも、ただカラオケで一人で歌ってるだけだよ」 「練習やろ? モカにも見習って欲しいわ」  得意らしいスラップ奏法を、清音は鳴らし始める。自然と身体が動きそうになるのがなんとなく悔しくて、ルナは立ち上がった。 「ライブでもそれやったら良いじゃん」 「モカが帰る」 「また帰るのかな?」  TADAがドラムの席を離れてタバコに火を点けながら、渋い顔で言った。 「次のライヴは結構お客さん入りそうだから帰ってほしく無いんですけどね……」 「でっかいとこでやるの?」 「有名なバンドが出るんすよ。ゲスト扱いで。まぁ、他のバンドはその前座みたいなもんで。うちも含めてですけど」  と、ベースのイッチがチューニングしながら言う。悔しさも無さそうな調子で、自分たちのバンドの位置をわかっているようだ。  清音もタバコに火を点け、空気清浄機のスイッチを入れる。 「まぁ、あいつに関係無いやろ」  既に、バンドは諦めムードだった。そんな静かな中にモカは帰って来た。 「ルナはミルクティーで良かった?」 「うん。ありがと」  バンド唯一の問題児は何食わぬ顔でマイクを持つ。練習再開の合図らしく、それぞれがスタンバイした。  さっきとは違う曲。テンポの速い曲で、全員が疾走するかのように音を連ねる中、ドラムがモタつくのをルナは感じた。  或いは、他の三人が走っているのか。と首を傾げていると、清音が正解を示すようにスラップ奏法を始め、リズムを明確に刻む。    その矢先、モカは叫ぶ。 「それ止めろってんだよ!」  清音は止めない。百万人のオーディエンスの前での彼のパフォーマンスは止まらない。 「清音!」  マイクを放り投げると、ドラムの音もベースの音も止まり、ギターの音だけが鳴っていた。  それもやがて止まると、清音は息を吐いた。 「パンクやないからか?」 「わかってるならやめろよ」 「そもそもパンクの始まりって反抗的な悪ガキの音楽やろ? 型にハマって、それでパンクっておかしない?」 「んな話はどうでも良いって。曲と合ってねーんだよ」  ルナはそんなやり取りを傍観していたが、このままこのバンドが埋もれていくのは勿体ないところだ。ただそれだけの思いで、ルナは掠れた声を張った。 「アタシは良いと思うよ」 「ルナ……そりゃバンドとかわかってないから言えるんだ。歌いもしないしさ。こんなのパンクじゃない」 「他のバンドには無い音だよ。清音のギターはこのバンドの武器じゃん。それをもっと使った方が良い」 「……イッチとTADAちゃんは?」 「え……自分はバンドってそれぞれが自分の持ち味を活かしてやってくものだと思ってるから……その……なぁ? イッチ」 「有りだとは思いますよ、キヨさんのその音」  モカは悔し紛れに清音のタバコを吸って煙と一緒に怒りを吐き出した。それでも、言葉が出て来ない。 「モカはさ、何の為にバンドやってるの?」  しんとした空気の中、ルナの問い掛けがモカだけではなくそれぞれに刺さる。 「言ったじゃん。LOSTに……魅由さんに認めて欲しいからだよ。その為には売れなきゃいけない。ちゃんとパンクバンドとして」 「LOSTってさ、まだ活動してるの?」  その答えは自分が一番知っていた。  メンバー間の喧嘩を止める為に、魅由は死んだ。結果的には事故死だったが、当のメンバー達は現場から逃げ、ボーカルを変えて何事も無かったかのようにバンドを続けている。 「LOSTはやってるよ。魅由さんはいないけど。でも、バンドやってなくても届くよ。売れたらだけど」 「……魅由さんに会えるわけじゃないのにどうやって認められたってわかるの?」 「そりゃあ……その……」  モカの中でゴールが霞の中に消えて行く。  考えてもいなかった事だった。ただ、魅由の真似をして、影響を受けたと伝えられたらそれで良かった。  その問答を終わらせたのは清音だった。 「メシ行かへん? 腹減った」 「この空気でメシ行くんすか?」 「練習する空気でも無いやん。せっかくチビも来てんのに。甘いモンしか食わないんやろ? パフェ美味いとこ行こうや、奢ったる」  清音がそうすると言うのなら、そうするしか無いというのがこのバンドの暗黙のルールらしく、五人は地上に出た。 「夕飯も甘いモンでもええの?」 「うん。つーか……」  表情の暗いモカは放っておけと言わんばかりに、清音は何も言わない。TADAとイッチが機嫌を取ろうとモカに話し掛けるが、上の空だった。 「結局さ、清音は自分のやりたい音楽がやりたいだけなんだろ? ルナがそれを認めたから仲良くしてんだろ?」 「なんやねん。お前が友達連れて来たのに喧嘩吹っかけるからメシにしよ言うたんやん」 「止めろって言ったのにあれやるからだろ!」 「TADAちゃんも言ったやろ? バンドってそれぞれが自分の持ち味を活かすもんやって」 「でも……」  援護を求めるように、ルナに目をやるも、そのルナに問われた事はまだ答えが出ていない。 「アタシ今日は帰るよ。みんなで話し合ったら良いと思う。部外者だしさ」  逃げるようでイヤなヤツだ。自分でそう思いながらも、そろそろ声を出すのが辛い。 「あ……ライヴは来てよ。頑張るからさ」 「うん。じゃあね」  次に会うのは再来週のライヴ。場所は新宿の歌舞伎町の中にある、昔よく魅由のライヴを観に行ったライヴハウス。懐かしい気分にまた浸らせてくれるのだろうか。などという思いよりも、壊滅的なLEOの雰囲気に、これから先どうなって行くのかが心配だった。  [4]
 喉が元の声を取り戻すのに、五日もかかってしまっていた。  音楽を聴く傍らで、未だにルナは、地下戦争の事を調べては情報の無さに絶望感を突き付けられていた。  どこかで生きているのなら、まだ待っている事を伝えたい。その方法は無いのだろうかと模索しつつ、ルナは一つ思いついた。  家だ。日出陽の家にまだ行っていない。どうして今までそこに辿り着かなかったのかと言えば、恐怖があったからだ。両親に、彼が死んだと告げられることの恐怖。そこから逃げていたが、完全に造り物の彼に『死』という概念は無い。あるとすれば、それは『廃棄』と言った方が社会的には正しいのかもしれない。 「東クン達は行ったのかな……」  学校に行けば会えるだろう。が、まだ午前中だし、書類上はまだ在籍中の身であり、先生に見つかると面倒そうだ。何より、待っている時間が勿体ない。 「ノアはちゃんと生きてるかな」  思い立ったが最後。モバイルが告げるモカのメッセージを尻目に、画面を開きもせずにライダースジャケットのポケットに突っ込むと、ルナは家を出た。  たった二度。それも、一年以上も前に行ったきりの日出家までの道のりは、まだ覚えていた。初めてこの道を歩いた時、隣で戸惑い気味にチラチラと見て来る彼の姿が面白くて、顔を伏せながらニヤニヤしていた。こんな時、背が小さくて良かったと思いながら歩いていたことを思い出す。  日出家は住宅街にあるごく普通の一軒家だ。とても、その中で世界的な実験が行われているなどとは思えないほど、街並みに溶け込んでいる。  表札はまだ付いている。インターフォンを鳴らすと、足音が聞こえて、ドアが開いた。緊張などする間もなく、母親らしき女性が顔を見せた。 「はい。なんでしょう?」 「須山と言います。陽……君の事にお話があって来たんですけど……いますか?」   優しそうな雰囲気の女性だ……が、決してこの女性が彼を育てたわけではない。女性は、逡巡するでもなく、 「陽は出かけていていません」 「いつ帰ってきますか?」 「さぁ……ちょっと私にはわかりません」 「いつから出掛けてるんですか?」 「さぁ……ちょっと私にはわかりません」 「どこに行ったかわかりますか?」 「さぁ……ちょっと私にはわかりません」  奇妙に、同じ言葉を発するだけだった。まるでプログラムされた言葉を繰り返しているように。 「そうだ……ネコ。陽が飼ってたネコは元気ですか?」 「……猫……うちにペットはいません」 「……お部屋に入っても良いですか?」  何かがおかしい。この母親も。出来る限りの可能性を、ルナは考えた。  一つ、この母親は研究所の職員で陽を管理していた。  一つ、この母親は何も知らずに陽を迎え入れて育てた。  一つ、この母親も人造物。  その答えのいずれにせよ、ここにいるのは危険な気がした。 「わかりました。お邪魔しました」  足早に立ち去ろうと、軽く会釈をした時、視線を下げたおかげでドアノブを掴む女性の手の親指の爪が剥がれてめくれている事に気付いた。 「あの……手、大丈夫ですか?」 「えぇ。なんともありません」  背筋が凍るような寒気が走った。生々しく剥がれた爪がなんとも無いはずがない。答えは三つ目だ!! 「失礼しますっ」  脱兎のごとく走り出した。それなら、きっと父親も人造物で実験体。『日出計画』と、学校の保健医は言っていた。なぜ気付かなかったのか。日出家そのものが実験体だったことに。  散々走った気がした割には百メートルも進んでいない。ブーツじゃ走りにくいことこの上無かった。おまけに革のジャケットだって重い。  あの女性は母親として造られたのだとしたら、いつまでも息子である陽の帰りを両親共々待っているのだろうか。  近所の人はどうなのだろうか。気付くわけが無い。クラスメイトも自分も気付かなかったのだから。  となると、この住宅街に、父親が働くであろう会社に、人造物はしっかり馴染んでいて社会を回している事になる。  遠くに見える日出家を含む住宅街が、ひどく奇妙なものに見えた。  実験から一年が経って、その会社は彼を成功とみなしたのだろうか。或いは、また別な実験体を造って社会に紛れ込ませているのだろうか。 「気持ち悪……」  自分自身すら怪しくなってくる。  擦れ違う人が本当に人間なのか怪しくなってくる。  ポケットの中のモバイルが振動して、跳び上がりそうになった。モカからのメッセージだろうと思って画面を見ると、その通りだった。  『今日練習無いから暇なんだけどさ、遊ばない? 原宿行こうよ。PUNXXにウチも久々に行きたい!』  『良いよ。原宿駅に待ち合わせで良い? 今から向かうから』  『オッケー』  こんな時、友達がいて良かったと思えた。一人でいたらこの奇妙さに気が狂いそうになる。  モカは果たして人間のなのだろうかとも思ったが、考えだしたらキリがない。  駅の自販機でミルクティーを買った。これまで関わった人間はどうだったのだろうかと思ったが、そもそも仲の良かった人間がいない。 「……魅由さんは?」  そもそも、身体のあらゆる部分の代替品が使われるようになったのはいつだろうと、電車で移動中にモバイルで調べてみると、四肢に関して言えばもう数十年前から使用されている。だが、それはいかにも造り物と言えるようなもので、日出陽を始めとした、現在使用されているものとは大きく異なる。  外観的なもの以外に、現在は心臓も代替品が使われているが、それだって昔からある。  ただ、骨も肉も皮膚も、臓器に眼球。血液も神経も全て代替品が人体と遜色ない物になったのはまだたった五年ほど前だ。  陽に至っては脳すらも人の手によって造られた、代替品というのだから、もはや人間にとって『命』は完全に買えるものになってしまった。  以前なら治せなかった心臓の病だって、代替品とそのまま取り替えてしまう事で、病気そのものを心臓ごと取り除ける。  同じ原理で言えば、脳の損傷すらもそのまま取り除いて代替品と交換出来る。『記憶』は『記録』としてデータ化され、代替品に搭載されたICチップに転送される。  そんな世の中になって行く事に、ルナは首を捻った。  それって人間なのかな。  もはや理解不能。自分の記憶が、誰かに管理されるなどということは許しがたい。  自分自身のままでいたい。例え、手足が動かなくなろうとも、身体の中のどこかが悪くなろうとも。    原宿に着いたのは、メッセージのやり取りをしてから一時間と少し経ってからだった。  モカは、今日は片側の髪もおろし、最初に会った時の印象そのままだった。 「急に呼んでゴメン」 「良いよ。アタシも会いたかったし」 「おー? ちょっとは仲良くしてくれる気になった?」 「別に……」  ただ一人でいたくなかっただけとは言わず、いつもの無愛想を装った。 「風邪も治ったみたいだし良かったよ」 「うん。そうだ、バンドの調子はどう?」 「ん~……それは色々あってさ。あとでどっか入ってゆっくり話すよ」  ひとまずPUNXXへ。わざわざ言うでもなく、二人は竹下通りに入って行く。  店内を見ている時、ルナはふと思い出した。  陽の家でやったゲームは、この小さな店内さえも克明に再現してみせた。それどころか、陽曰く、ゲーム内で買った物が現実に届く。店舗限定の商品だってそれは同じだった。  あのゲーム機の正体さえ掴めれば、陽を造った会社に辿り着ける? 「そういえばさ、ルナのそのスカートってここの限定のやつじゃない?」 「そうだよ。気に入ってずっと履いてる」 「良いなぁ……ウチ、スカートとか似合わないし」 「名前だけなら似合いそうなのにね、桃華ちゃん」 「ちょっと! それ言うなっての!」  気に入っているのは、ゲームの中とはいえ、陽に買ってもらったものだからだ。丈が随分と短いスカートは、この身長だからまともに履けるものだ。背の高いモカには似合わないどころかパンツが見えそうだと、ルナはイメージした。  清音の家に居候の身にも関わらず、モカは収入のほとんどを服につぎ込むらしい。とはいっても、そこまで収入があるわけでもないから、あまり買えなくて大変とのことだった。  二人は、その足でカフェに入った。  バンドの事を話したいし、聞きたいというのが二人の思う所だった。  席に着くなり、モカは待ちきれなかったように堰を切って話し出した。  ほとんどが清音に対する愚痴で、解散する寸前まで行ったらしいが、モカは得意げに言った。 「あいつもなんだかんだで折れないからさ、ここはウチが大人になってやろうと思って。スラップ? っていうの? やって良いことにしたんだよ」 「清音はなんて?」 「それでええねん。だけ。あいつさ、自分の力だけでやって行こうとしてるところがあるから、バンドってみんなでやるもんだろって思うんだけど……どう?」 「アタシもそう思うけど……」  清音は言っていた。  『百万人を楽しませられる。一曲たった四分そこらで。俺が作った曲で。俺が出した音で』  『皆で』とも『俺ら』とも一言も言わなかった。作曲しているのが清音ならともかく、音を出すのは全員だ。初めから、清音はメンバーを相手にしていないのかもしれないとさえ思える。 「今度のライヴ、売れてるバンドも来るらしいね」 「みたいだね。客も入る。でもさ、どんなバンドだって魅由さんのあのカリスマっぷりには敵わないんだよ」 「……魅由さんてどんな人?」  ルナは、手元のグラスに目をやりながら訪ねた。自分以外から見た彼女はどんな風に映っているのだろうと、聞ける人にようやく会えた。  モカは悩んでいるようで、難しい顔をしながらうんうんと首を捻る。 「ライヴでしか見た事ないんだけどさ、セクシーでクールなお姉さんて感じ。余裕があってさ。スタイルとかも……ウチらじゃ届かないよなぁ、あんなの。チチもデカいし」 「もう17じゃそんなに成長しないだろうしね」 「手術しかないかな……」  モカは笑って言うが、ルナにとっての『人体改造』は、今は笑える話題では無かった。 「そこまでしておっぱい欲しい?」 「だってさ、昔からあるよ? それくらいの手術。代替品手術(オルタネイト)とかじゃなく。注射でシリコン入れるんだったかな。ちょっと痛いの我慢すれば良いだけなんだし。ルナのそのペタンコも少しはさ」  少しって失礼な……と思いつつ、 「バランス悪いじゃん。背ぇちっちゃいのに胸だけあったら」 「ロリ巨乳ってやつで良いじゃん。一部には需要あるよ」  クラスでコソコソと視線を送っていた連中を思い出す。 「ロリって言うな。いらない。このままで良いよ、アタシは。身長も胸も。不便な事もあるけど、結構ちっちゃくて良かったって思う事もあるし」 「そっか。ま、顔が背ちっちゃい顔してるからな、ルナは」 「どんな顔? それ」 「そんな顔だよ」  身長や胸に関して、ルナにコンプレックスは無い。だからそんな話題も笑って済ませられる。  同じ歳の同性の友達は、幼少期の頃以来だった。声が嫌いで話す事もしなかったせいで、今になってようやく友達がいるという、周りと同じ環境になれた気がする。お互い自体の環境は同世代の『学生』とは大きく異なるが。  そのまま、二人は買い物をして、清音の家兼モカの家のある渋谷まで歩く事にした。  道中、モカはとあるビルを見上げて切り出した。 「大河内財閥って知ってる?」 「知らない。アタシあんまり世の中のことわかんないから。大河内って……モカもだよね? 親戚とか?」 「親戚ってか実家なんだけどさ。エラソーにしてた割に大して知られて無いんじゃん。ちょっと嬉しかった、今」 「アタシを基準にしたらダメだって。何してる会社?」  モカは、通り過ぎたビルの看板を指した。『代替品手術(オルタネイト)は一人一箇所まで。守りましょう、命の尊さ』の文字が書かれた保険会社のものだ 「あれ。つっても保険会社じゃなくてうちは研究の方だけど」 「……代替品を作ってるってこと?」  ルナの背筋にゾッと冷たいものが走っていく。こんな間近に答えがあったとは思いもしなかった。 「研究だけだって。実際に作ってんのは工場。しかも、七つある研究機関のうちの一つだしね、大河内財閥は」 「七つ? 代替品(オルタネイティヴ)ってそんなに関連企業多いの?」 「だってさ、一つの企業でやったらその会社だけで収益とんでもない事になるし。確か、骨と筋肉と血液と皮膚と臓器と神経と、あとはそれらを繋げるとこだったかな。大河内財閥(うち)は筋肉の部門をやってる。七身会(しちしんかい)って言ってさ、表沙汰になってないけど結構日本の中でも有数の企業らしいよ」 「……脳の代替品は?」 「え? 脳の代替品なんか無いよ。さすがにそれはマズいって」 『日出計画』は、まだ関与している企業にすら知られていないか、はたまた、家を出たモカは知らないだけか。  ルナは、ここからどう切り出せばゴールに近づけるかを思案した。 「だったらさ、モカって良いとこのお嬢様なんじゃん?」 「まぁ、不自由は無かったね。不自由は無い……けど、自由も無かった。」 「どういうこと?」 「古臭い考えでさ、跡取りにするなら男が良いって事でアタシは親父に名前も呼ばれた事無いんだよ。無かった事にされてる気分。それでも、問題を起こさないようにって金銭面の不自由は無かったんだ。それだけ。金さえ出しとけば良いだろうって感じしか親からは感じなかった。ルナんちは? 問題あったから一人暮らしなんでしょ?」 「アタシんちは色々あって両方と血が繋がってなくてさ。だから親って気もしないし……何回考えてもどうでもいいって思える。別に親からは可愛がって欲しいとかも無いし」 「もし本当の親だったら可愛いがられてたかもとか考えない?」 「うん。だって、今のこの状況が現実でそれ以上でも以下でも無いしさ。もしとか考えても仕方ないし」 「じゃあさ、こうしてれば良かったとかも無い?」  強いて言えば、声を出せば良かった。魅由に憧れた勢いでバンドをやっておけば良かった。昨年の夏、一人で終戦を目指した日出陽を引き止めればよかった。後悔なんか山ほどある。  それをいちいち口にしても仕方ないと、ルナはわかっている。 「無いよ。どうでもいい」 「そっか……強いなぁ……羨ましい」 「別に強いわけじゃないよ。もっと強くなりたいくらい」 「強くなってどうすんの?」 「……色々……かな」 「例えば? ルナもやってみたら良いんじゃない? 代替品手術(オルタネイト)」 「オルタネイトを?」 「そ。まぁ自分の嫌なとことかさそれこそ身長伸ばしたりとかする人もいるらしいけど、まぁバレるよ。でも、本人はそれで新しい人生送れるわけだし、自信も持てる。良い事だらけなんだよ」  ルナも(・・・)と、確実に、彼女は笑って言った。それが当たり前のように。なんでもないことのように。 「モカ……どこを手術したの?」  身体を見回しても、それは明らかに人間と遜色無い。それもそのはずで、完全に代替品だった陽の事も気付けなかったのだから。ルナの狼狽ぶりも気にせず、モカの口は軽い。 「見てもわかんないよ。うちは筋肉って言ったじゃん? 声帯もそのうちの一つでさ。劣化しない。つまり、どんだけ歌っても枯れないわけ!」  たった三曲で枯れた喉のルナは、馬鹿にされたような気分だ。  それを手に入れたいとも思わないが。 「なんでそんなこと……」 「中学の時、友達の兄ちゃんがやってるバンドのライヴ観に行ってさ。その時にLOSTの魅由さんを初めて観て……こうなりたいって思って、バンドやろうって。歌おうって思ったんだよ。だったらもう一生枯れない喉があれば良いじゃんって。まだ一般的に使われる前だからサンプル品の古い型だけど、機能的には変わらないし」 「喉に違和感は?」 「無いよ。清音も、お前の喉めっちゃ強いな! って言ってたから気付かれてないし。ルナもやる?」 「……いらない」 「みんなやってるよ。今時珍しい事じゃないって。まぁ、豊胸はうちの専門外だから安くは出来ないけど」   家のあるビルに着いた時、ギターを背負った清音と鉢合わせた。       相変わらず、独特な空気がある。 「よぉ、チビ。元気か?」 「うん。出掛けるの? ギター持って」 「一稼ぎして来るんや。どっかのアホは食うだけやからな」  と、モカを睥睨して清音は言う。 「金入れてんじゃん。少しだけどさ」 「服買う金あったらもう少し払えや。それと、遊ぶ時間あったら練習しいや。オケは録音してあるんやから」 「説教ばっかいいっつーの!」 「まぁええわ。ほんじゃ、ライヴでな、チビ」 「うん」  チビチビ言うなと思いつつも、清音から見たら本当にちっちゃいんだから仕方ない。百九十もあったら大抵の人がチビになるだろうとも思う。だからといって名前で呼ばれるのもなんとなくイヤだし。というわけで、不本意ながら『チビ』を受け入れるしかない。 「清音さ、次のライヴに向けてか知らないけどスゲーやる気でさ。ピリピリしてるからTADAちゃんもイッチもビビッてて、練習してても楽しくないんだよね」 「売れてるバンドも出から客も多いって。だからじゃない?」 「聞いた。だからなんだよって話だよ、ウチに言わせれば。そのバンドのファンなんかウチらを観ないんだから無駄だって。LOSTを観に行った時なんか、他のバンド観てないし」 「でもさ、モカは元々違うバンド観に行ったのに、魅由さんに惹かれたって言ったじゃん。だったら、モカが魅由さんみたいに他の客を惹きつけることだって出来るんじゃない?」  部屋には入らず、ガードレールに寄りかかり、二人は雑談の続きを始めた。通行の邪魔だとか一切考えず、なんとなく、モカは練習スタジオに入りたくなかった。  ルナのその提案に、面食らったように目を見開き、唇を噛んだ。 「それが出来たら苦労してない。あんな色気は無いし、カッコよくもない。魅由さんにはウチじゃ届かない」  今の年齢では絶対に出せない。大人としての魅力も、彼女にはあったはずだ……が、それをルナは口には出来ない。 「観に行くんだから頑張ってよ」 「……そりゃやるけどさ。ルナにも見せたかったなぁ、魅由さん。つーか、一緒にライヴに行きたかった!」 「……そうだね」  多分、同じ空間にはいたはずだ。知り合ってからほとんどのライヴは連れられていたから。ただ、彼女はいつもルナを見ながら歌っていた。これほどまでに憧れているモカも、他の客も一切見ていなかった。それは、本人が言っていた事だ。 「お前の為に歌うんだから見とけよ、ルナ」  毎回、客席に向かうルナに、彼女はそう言って自信ありげな笑みを見せた。 「がんばろ……」  力無く呟くと、モカは家に入る為に足を進めた。 「ライヴ、楽しみにしてるね」 「無敵の声帯だから、ウチは」  友達の自慢げな笑みが、ルナには悲しかった。  [5]
 ライヴ当日を迎えるまで、モカから何も連絡は無かった。ルナからもしない。特に用事も無かったし、会う予定もこの日まで無かったからそれで良かった。  しょっちゅう連絡してくるような相手じゃなくて良かったと、ルナは鳴らないモバイルに安心していた。  一時間歌えるようになるまで、喉は強くなっているし、そこまでの成果を出せた事は鳴らないモバイルのおかげだとも思っていた。  邪魔されずにひたすら練習……というよりは、人並み程度に喉を鍛えたいというのが叶った気がしたけれど、クラスのカラオケに行っていた連中はどれだけ歌えるのだろうか。  モカの枯れない声帯では比べる事が出来ない。  そのモカがどれだけ今日は頑張るのだろうかと、数年振りに訪れたライヴハウスを見上げた。  二階はクラブになっていて、魅由に連れられて行ったこともあったが、年齢制限で引っ掛かって入れはしなかった。  十七才の今でもまだ、二階には入れない。 「まだまだ子供ってことか……」  クラブどころか、一階の、中学生でも小学生でも上がれるステージにすら上がる事は出来ず、今日も後方から眺めているだけだ。   今日のモカはどうなんだろうか。魅由の事を言うべきか。色々な思いが交錯する中、静けさを求めてトイレに行くと、鼻歌混じりに見覚えのある男が出て来た。   長い髪を結って、ゴツゴツした腕の骨格さえ見えなければ、一瞬女かとも思う。 「まだ俺らの出番まで時間あるし、モカ呼んで来たろか?」 「いいよ。他のバンド観たいし」 「勉強熱心やな」 「そういうことじゃないけど……。ねぇ、アタシにもし枯れない喉があったら、上手くなれるかな?」  訝しげに、清音はルナの真意を見る。代替品は今では珍しい事ではないし、それを得ようとする気持ちもわからなくもない。 「代替品か? それとも、強靭な喉って事か? 前者ならクソやけど、後者なら俺も羨ましいな」 「代替品じゃダメなの?」  清音は、結っていたゴムを取り、輪っかを広げて指で弾く。ビィ……ンとゴムが振動して音を出す。 「ギターもそうやけど、声帯ってこういう事やねん。伸び縮みして声を出す。何回もやってたらゴムも緩くなる。それは声帯で言うと柔らかくなって声を出しやすくなるって事やねん。でな、代替品て劣化もない代わりにそのままを保つ。柔らかくなる事も無いっちゅう事や」 「悪くもならない代わりに、良くもならないってこと?」 「そう。音域も広がらへんし、代替品てそもそも病気かなんかで声出ぇへん人の為のモンで、歌う為のモンやないっちゅうことや」 「そうなんだ……枯れない喉って良いわけじゃないんだね」  モカの得意げな笑顔が一層悲しいものになって行く。この事実を知れば、清音はどう出るのだろうか。 「造花と一緒や。なんぼ綺麗な造花でも、散って咲いてを繰り返すホンモンの花の方が俺は好きや。お前は花でおったらえぇ」  ポンと肩を叩き、清音は楽屋の方へ向かう。 「頑張ってね。百万人を相手に」  言葉は返って来なかった。振り向きもしなかった。高く挙げた右腕が、勝利を宣言しているようにも見えた。 「アタシは花……か」  よくよく考えたら似合いもしないクサイ台詞を吐いて行かれた事に気付いて、一人で笑いを堪えた。  LEOは決してテクニカルさを売りにしたバンドではない。  『楽しもうや』と、清音はライヴ前にいつも声を掛けていた。  今日の清音はそんな素振りも見せないほど、楽屋では静かにギターを弾いていた。  残る三人は、それは気合の表れだろうと、それぞれ曲を繰り返し聴き、集中力を高めて行った。  前のバンドもヴォーカルが紅一点のバンドだった。汗を光らせ、やり切った顔で終えて来ると、モカは会釈した。そういえば、そんなに汗かいた事あったっけ? 照明は確かに暑いけど、そんなに汗かく? これまでを思い返してみると、清音だけがいつも汗を拭いていた。 「ウチ、まだやり切ってないや」  ルナも観ている。今日は客席から聞こえるザワザワガヤガヤとした声も大きい。前のバンドはそこそこ盛り上がっていたようだ。盛り上げてくれていたなら丁度いい。  ルナが言ってくれた通り、他のバンドを観に来た客を取ったら良い話だ。 「今日は頑張るよ。絶対」 「お、モカちゃん気合十分っすね」  TADAが楽しげにドラムスティックを振りながら笑った。清音は何も言わずに、ステージにセッティングに行ってしまった。一番、声を掛けて欲しかったのにと、モカは口を尖らす。 「ウチらなんか怒らせたかな?」 「さぁ。キヨさん何考えてるかわからない時あるし」  イガグリをかぶっているような、ガチガチに立った赤い短髪のイッチは言う。それを言うなら、いつも何考えてるかわからない。清音とは、誰もがそんな仲だ。  三人も、セッティングをしに行くと、清音は既に臨戦態勢に入るように幕越しに客席を観ていた。  清音はイメージを広げていた。昔見た憧れのギタリストが、海外の野外のロックフェスで夕日に向かって弾いている姿を。  いつかそこに自分も立つ。燃えるような夕日の光は、客席を照らし、その人たちがライヴを楽しむ笑顔は煌めいていた。  川辺の煌めきにも似たそれを浴びていたのは、一人の日本人ギタリストだった。  清音はその映像に自分を投影した。今日も彼以上にオーディエンスを楽しませてやる。目の前には、どこまでも広がる空と、波と化した人の顔・顔・顔。  突き上げられる拳は、声援は、自分のものだ。 「ほな、今日もやったろか」 「アレで行くんすよね?」  TADAがドラムセットを確認するように叩く。清音はその問いかけに頷く。  それぞれがセッティング完了したのを見て、清音はステージ袖のスタッフに手を挙げる。 「このまま行くんで」  TADAの高速のバスドラム/ベースの重厚な低音/まるで殴り合いの始まり/けたたましいシンバル・ギターの音色=完全な混沌。  解放された清音のスラップに、清音自身も跳ねるようにステップを踏む。幕が上がる。見えて来る。三百人(ミリオン)の観客が。  モカ/マイクを握りしめる/叫ぶ/枯れる事の無い無敵の喉で。 「ウィー・アー・ザ・LEO!!」  宣言=ウチらが百獣の王だ!!  ルナの顔は見えない。また後ろにいやがるのか。前来いってんだよ、クソ! 来させてやる。盛り上げてやる。  軽快に進軍するエイトビートに乗せて、高速のメロディ+言葉の乱射。放つ英単語に意味は無い。ただなんとなくの思いつき=カッコいい言葉のオンパレード。  反応はまばら。わかってる。馴れてる。誰にも認められない歌を。誰にも認められない存在であることを。  親にだって、女の自分は存在を認められなかった。認めてほしかった。いない者扱いなんて嫌だった。  魅由を観た。パンクを知った。自由を知った。強さを知った。誰にも見られていないのに、ステージで好き放題に歌い、叫ぶ彼女の姿を、自分だけが観ていた。  その日初めてピアスを開けた。耳に三個。安全ピンで。悔しい事があるとピアスの数は増えた。お洒落な自傷行為は無い胸の乳首もヘソも埋めた。  清音に会った。ギターの事はよくわからないけれど、とにかく凄いヤツだって事だけはわかった。カッコ良かった。一緒にやりたかった。  その願いは叶った。こいつとやれば絶対に売れる。  なのに……。  客席は話している。立ちもしない。つまらなそうに腕を組んで壁によりかかっている。モバイルの光が、顔を照らしている。  まだ二曲目。あと四曲。焦る。またルナに良い所を見せられない。  マイクスタンドから、マイクをもぎ取るように外し、前のめりになってモカは叫んだ(シャウト)。  あかんなぁ。清音はそんな彼女を見て思った。そして、違和感と疑問。なんでこいつこんなに上達せぇへんのやろ。  ルナの唐突な質問がここで急に引っ掛かった。  まるで悪夢の始まりのように、ギターのストラップが切れて、ボディが落ちて、ギターの音色が止まった。ゴッという落下の衝撃が叫びをあげた(ハウリング)。左手でネックを握り、しゃがみ込み、体制を整えて演奏は再開。  一瞬の出来事だったが、バンドの核のトラブルに、三人は動揺した。  ギターもう一本置いとくべきやったな……。四曲目までノンストップで行く。そう決めたのは自分で、ストラップを付け替える時間も無い。  TADAが心配そうに見る。口がパクパクと言っている。『止めますか!?』清音は首を振る。止めてたまるか。百万人が俺を観てんねん!!  天才のプライド・執念が座ったままのプレイに宿る。スラップの炸裂。バシバシと叩かれているように見えるだけのプレイが奏でる音は、客の身体を自然と動かす。  それが天才である為の意地。  モカは信頼していた。清音なら問題無くやる。ウチらが負けちゃダメだ。  三曲目に突入するも、清音は座ったまま、ギターを立てて弾いていた。  立てない。フラストレーションがそのまま音になってはいけないと、冷静さを保つ。  ルナにローディーやらしときゃ良かった。そしたら替えのギター持って来させんのに。あ~、あかんな。ヴォーカル替われって言うてまうわ。  ただただ喉を潰すようなガナリ声でまくしたてるように歌うモカには、何も期待出来なかった。  それでも一切潰れない喉の正体にはもう辿り着けた。  その反対側の下手(しもて)では、イッチが黙々とベースプレイをこなしていた。ひたすら、ミスの無いように。特に今日は始まりからハイテンポの曲を続けていて腕が疲れている。  MCを挟む五曲目前までの辛抱だ。清音が止めると思ったのに続行ってなんなんだあの人。座って弾く続けるってなんだよ。しかもこの速さの曲。  ライヴ本番中にして、改めて清音の実力を見せつけられ、燃えるどころか意気消沈しかけていた。  ただ単純に、連れているヴォーカルが可愛かったから、一緒にやりたかっただけなのに。まるで引き立て役だ。チッと、舌が鳴った。  ライヴ中で良かった。絶対に聞こえないだろう。  そんな三人の背中を見ながら、TADAは今日も変わらない客席に諦めを抱いていた。  客席が盛り上がる姿が想像つかない。以前一度盛り上がったのは、完全に何かの間違いだ。スティックが折れて、思考の停止を遮った。  まだやらなければいけない。新しいスティックを音の途切れないように即座に取り、ようやく四曲目が終わった。  清音がステージ裏に引っ込み、替えのストラップをギターに着けている間に、モカがマイクを握っていた。 「あー……こんばんは、LEOです。え~……と」  たいして盛り上がってもいない客に何話せばいいんだよ、クソ。  モバイル弄ってんじゃねーよ。こっち観ろ。くっちゃべってんじゃねーよ。帰れ、このブス。頭に出て来る言葉は悪態ばかりだ。  間の繋ぎも出来ないステージ上に、清音が戻った。いつももう少し話せるのに、今日は気負い過ぎて逆に良くないと、モカの様子を見た。 「ハハ……めっちゃ盛り上がってるやん」  百万人に、清音は言った。客席も、ステージ上の三人も負け惜しみにしか聞こえない。 「今日、ここに集まった奴ら全員の頭に、音を刻み込んだるからな」  たったそれだけを言うと、右手を高々と上げ、ドラムのカウントを待つ。  客席から観ているルナには、その曲が何かわかった。歌える曲だった。  一瞬、ステージ上の清音と目が会った。百万人しか見ていないであろう彼とアイコンタクトなど、気のせいでしかないだろうが。  頭に刻み付けるギターの音色。ドラムよりもリズミカルで、ベースよりもグルーヴを生む。まるで、一人で充分やとでも言うような清音のプレイに、客席の目は向いた。  三百人の中の目が、まばらに彼を捉えるも、当の本人はそれっぽちの目など……。 「どうでもええわ。なぁ?」  ルナを見て、清音は呟いた。  目の前の三百人を相手にしているヴォーカル・ベース・ドラムとは明らかに空気が違う。たった一人だけ、別な場所でライヴをしているように伸び伸びとプレイし、手を挙げては客席を煽る。だが、当の本人は百万人を煽っているのだ。エネルギーが必要だ。パワーが必要だ。魂を込めた音が必要だ。百万人の歓声を受け止めるのも一苦労だ。  最後の曲が終わる頃には、清音のエンジンは全開だった。  途中まで座っていたフラストレーションを、有り余るエネルギーを全てぶつけるが如く。  客も飛び跳ねる。拳を挙げて清音に応える。楽しいと心から思っている客の溢れる笑顔が、清音の前に並ぶ。  曲が終わって、清音は最前列の女の子たちが伸ばす手を叩いて颯爽と去って行った。  汗が止まらない。やり切った。ストラップさえ切れなければもっと行けたと考えると悔しいが、次のライヴへの課題も見えた。 「ええライヴやったなぁ……」 「キヨさん凄いっすね! あんなに盛り上げられて……今日も駄目だと思ってました」 「ストラップ切れた時はどうなるかと思いましたよ!」  TADAも、イッチも上機嫌で楽屋に戻って来た。その後ろで、モカはというと、つまらなそうに二人を見ていた。 「盛り上がったのなんか清音の力でさ、ウチら関係ねーじゃん」 「バンドなんだし、それでもいいんじゃないっすか? モカちゃん」 「悔しくねーのかよ、TADAちゃんもイッチも! これじゃ清音のオマケみたいじゃん!」 「ま、そうカリカリすんなって。チビも呼んでうちで打ち上げしようや」  清音の頭には、既に次のライヴに向けた構想があった。  ギターは二本。絶対やな。  今日みたいな事が二度とあってたまるか。ハラワタが煮えくり返りそうなほど、穏やかな表情の内心は悔しかった。  清音の家に着いた時には、既に二十二時を回っていて、未成年二人は外に出られない時間だった。  まぁいいやと、ルナはパイプ椅子に腰を下ろす。   まだ、一人納得の行っていないモカはようやく話し合いが出来ると、啖呵を切る。 「清音もそうだけどさ、みんなもウチの良くないところ言ってよ。多分、気付いてないとこもあるから直せるなら直すしさ」  清音は全く耳に入っていないように、コンビニで買った弁当を配り、ルナにはケーキを渡す。 「ちゃんと食いや、たまにでええから」 「パンも食べてるから大丈夫」 「それ、ちゃんとしたメシやないって」 「清音! 聞いてんのかよ?」  ヒステリックな叫びも無視。TADAが恐る恐る挙手。 「とりあえず、腹減ったしメシにしないっすか? 話し合いはそれからでも……その、ルナさんもいますし」 「……わかったよ」  ドカッと座り、弁当の蓋を開ける。湯気と匂いに一瞬戦闘意欲が持って行かれそうになるが、勢い良くかき込んで今日こそは清音に言ってやるという決意を固めた。 「まぁ、なんやかんやあったけど、えぇライヴやったって事で、お疲れ」 「「お疲れっした!」」  清音はやっぱり食事を片手間にして、今日のライヴの映像をパソコンで観ている。  ライヴハウスにもよるが、バンドの宣伝を兼ねて、その日のライヴの映像をネットにアップロードしてくれるサービスがある。良いライヴをすれば、当然次にも繋がるが、逆もまた然りといったところだ。  LEOの今回に関して言えば、清音がなんとか盛り返したお陰でライヴ映像の画ヅラとしては良い具合に成立した。これ以上無いほどストーリーもあった。  それを肴に、TADAとイッチは缶ビールを開ける。モカも、未開封の缶を二本取って、一本をルナに渡した。 「とりあえずもう飲もうよ! ね?」 「アタシはいいよ」  酒には良い思い出が無い。酔ったせいで魅由は亡くなったのだから。 「意外とイイ子ちゃんだよねー、ルナは」  プシュッと缶を開けて、慣れたようにモカは飲む。  清音は何も言わずに映像を観続けていた。ライヴの途中でストラップが切れてそれどころじゃなくなってしまっていたが、モカはどうしてこうも成長しないものか。音程やリズムが取れないのなら、それは努力次第でなんとでも出来る。もっと重点的に練習させれば良い。だが、声質に一切の変化が無い。 「やっぱそれしか無いか……」  ルナは聞いたのだろう。一切枯れない強靭な喉の正体を。 「モカ、お前の悪いとこや。努力せぇや」  飲んでいる所に、急に水を差され、モカは激昂した。そりゃあ清音みたいに年中ギター弾いてバンドの事考えてるわけじゃないけど、それでも真面目に練習してる。モカの言い分はそれだけだ。 「努力してるよ。これから練習量増やしたって良い。どうせいくらでも歌えんだからさ」 「どうせ? なんやねん、その自信は」  清音は気付いたのだと、ルナは二人のやり取りを見ていた。気付かせてしまったのは自分の質問であった事にもわかっている。 「今まで枯れた事ないし。他には? もっと言ってよ、悪いとこ」 「なんか……一本調子っていうか、音域が狭いんすよね……言い方悪いんですけど、会った時から全然広がってないっていうか……」 「……まぁ、それもなんとかするよ」  TADAの指摘に、自分の中にあった違和感の正体がようやくわかった。音域の広がらなさは薄々感じてはいた。喉のせいだとは思いたくなかった。それだけが自分の強みであり、自信なのだから。 「イッチは? なんかある?」 「この機会だからぶっちゃけるけど、モカちゃんセクシー路線合ってない。こないだルナちゃんも言ってたけど」 「自分も、それは……まぁ思ってました」  魅由を目指している自分を全否定されている気分だ。一体、自分にどんな魅力があるのかもわからなければ何をすれば良いのかもわからない。  清音は狼狽するモカを横目に、淡々と告げた。 「モカだけやない。ろくにリズムキープもでけへんドラム。チューニング狂いっぱなしのベース。バンドとして最悪や。売れるわけない」  誰も、静まり返って何も言えなかった。モカだけが責められる立場であったはずなのに。TADAも、イッチも顔を見合わせては口を閉ざした。 「LEOは解散や。出てけ。もうえぇ。モカも荷物持って実家帰れ」 「なんで! 頑張るって言ってんじゃん?」 「無駄や。三年やで? それまで一切成長が無い。ようわかったわ。代替品(つくりモン)の喉やろ? 違うんやったら才能無いって事や」 「代替品手術(オルタネイト)でも良いじゃん! 努力した奴が偉いのかよ!? 結果が良ければ問題無いって」 「その結果すら最悪やん。別に努力した奴が偉いとかやない。頑張ってもどうにもならん奴もいる。それやったら俺ももう少し練習方法とか考えて検討してみるわ。けど、最初っから努力を放棄した奴の面倒まで見れへん。お前らもや。酒飲んで遊んでる暇あったら練習せぇや。酒飲んで笑っててえぇのは売れた奴だけや」  二人の内心が煮えたぎっているのがよくわかる。言葉にしたくても出来ないのは、核心を突かれているからにならない。  モカは、そんな二人の気持ちも代弁するように、尚も食って掛かった。 「後悔すんなよ。一人でバンドは出来ねーんからな」 「アホか」  清音がパソコンを操作すると、聴いた事も無い曲が流れだした。ドラムも、ベースも、もちろんギターの音も入っている。 「ライヴではオケ流しとけばえぇ。ギターだけは生やけどな。ボーカルは……」  ルナの方をほんの瞬刻チラリと見やり、 「お前よりえぇ奴はなんぼでもいる」 「だったら、自分らはお情けで一緒にやって貰ってたってことっすか!?」 「せやな。こんなんもあるしな」  テーブルに置かれた紙の束は手紙だった。ファンでもいるのかと思えば、差出人はレコード会社からだったり、メールをプリントアウトした物は、他のバンドからのスカウトだった。 「観てる人は観てるし、わかってる人はわかってる。お前らは目の前の客しか見てへんから盛り上がってるかどうかしか見えてへんけど、俺はもっと先を見てる。百万人の観客が笑ってる。楽しませてるんや、俺の音が」 「百万て……妄想かよ」 「でもこれが結果や」  テーブルの上の紙の束は、清音一人に充てられたものだ。LEOの名を広げる為に、ネットに動画をアップしたり、一人で地道に売り込みを続けていた成果だ。 「モカちゃん、もう行こうぜ。家帰りたくねーんならオレんち泊まればいいよ」  イッチが無理やり歩かせると、仕方なく、トボトボとモカは歩き出した。部屋の隅に置かれたままのギターに目を向けたものの、手を出す事は出来なかった。  当時の貯金をはたいて勢いで買ったシルバーのグレッチ。可愛いボディが気に入って買ったけど、結局あまり弾けないままだった。  それは手切れ金に代わりに置いて行こうと思った。しばらくバンドをやろうとは思えない。代替品の喉のデメリットには薄々気付いていた。  『劣化しない』=現状維持。悪くもならない代わりに良くもならない。そんな枯れない喉は、武器にはならなかった。  切り取った声帯はどこに行ったんだろう。ウチの声帯。  呆然と、モカは喉を触りながら異物感に飲み込まれていった。  ルナは、そんな三人を見送るしかなった。  どうでもいい。  物事の終わりの後味の悪さはもう慣れた。  両親の離婚。魅由との終わり。陽との別れ。どれもこれも、始まりは向こうから唐突にやって来て、終わりも唐突に向こうからやって来る。 「悪いな、バタバタして。送ったるよ。車出してくるからちょっと待っとき」 「……いいよ。まだ電車あるし」 「補導される時間や。嫌な思いさせた詫びっちゅう事で送らせてくれ。それでなんかあっても俺が嫌やねん」 「なんかって?」 「時間も時間やし、危ない奴が──」  振り返ったルナの目に浮かぶ涙に、清音は閉口した。 「こうなったのはお前のせいやない。俺も前から気付いてた。それが積み重なって今日になっただけで」 「どうでもいい。もういい。関わりたくない」  鞄を持ち、ルナは駆け出した。  もう二度と来る事はないであろう、この地下の名も無いフロアを振り返る事も無く。  『REVEL』[1]
   昨日の事が嘘のように、ルナはゲームセンターのバイトに勤しんでいた。学校に行かなくなってからは、日中も働いて、とにかく人との関わりを避けようとしていた。だからバイト仲間が飲みに行こうが、カップルが誕生していようが関係無い。  ただあまり声を出さずに済んで、髪形もそれなりにうるさくない所で金を稼げるならそれでいい。 「ちょお、店員さん。両替機やと思って千円札突っ込んだら全部メダルになったんやけど。戻してや」  聞き覚えのある関西弁。イラッとしつつも、ルナは冷静に業務をこなす。 「申し訳ありません。当店の規則でそれは致しかねます」 「ケチくさいな。ほんじゃ、これどうすんねん」 「……当店の会員登録をしますと、お預かり出来ます」 「じゃあ、それでええわ。暇な時来るわ」  今ヒマそうだけど? とは店員は言わないので、申込用にタブレットを渡した。 「こちらに必要事項を入力してください」 「はいよー。で、バイト何時までなん?」 「……お答えいたしかねます」 「なんでやねん。あ~、じゃあ、あのクレーンゲームな、アームがダルンダルンで取れへんかったわ。締め直してくれへん?」 「当店の規則ですので調整等は出来ません」  もう面倒になって来たので、必殺技兼最強武器の従業員マニュアルを見せた。 「なんや……あ~……悪質なお客さんの対処方法? 自分で解決せずに店長及び、勤務代表者に連絡し、警察に通報の事……まぁ、変なヤツ多いし、大変やな」  察しが良いくせに。わかってるくせに。ニヤニヤと笑う清音にも、あくまで店員の対応。 「……店長呼びま~す」 「不審者ちゃうやろ! 話があるから来ただけや。終わってからでえぇから」 「アタシは何も無い」 「俺はある。一回付き合えや。一晩三万出すで」 「その辺の女子高生にでも使えば? そのお金」 「……連れんなぁ。まぁえぇわ。ほな」  タブレットにしっかりと必要事項は入力されていた。会員証を受け取らなかったのは、また来るための口実だろうか。 「須山さん、大丈夫? なんか変な男に絡まれてるように見えたけど」  バイト仲間の二十三才女性が今更声を掛けて来る。先輩、見てたんならなんとかしてくださいよ。なんていうフレンドリーさはルナには無く、 「大丈夫です」と、答えるだけだった。それがいつもの事で、須山さんらしいとまで言われるようになった。クレーマー処理人とまで言われる一方、やっぱり不愛想とも言われるのはどうでもいい。  バイトが終わり、帰ろうとすると、またも不審な男は路上で待ち構えていた。 「お疲れ」 「今なら店長通さず直でケーサツに通報出来るよ?」 「メシでも奢るから話だけでもさせてくれや。そっちが完全にシカトするんやったら毎日来るからな」  面倒な事この上なくて、早々に根負けするのも手段の一つだ。別に害は無い男だ。ただ、関わり合いたくないというだけで。 「アタシは十時までしか出れないから。ご飯行くなら近場でね」 「長くなりそうやから、俺んち行こうや」 「だからぁ……もういいや。はいはい、行こう行こう」  もうヤケクソでスタスタと速足で駅に向かうも、清音に手を引かれて連れて行かれたのは駐車場だった。黒いハイエースは機材車のようで、中にはギターが二本置かれてあった。それに、何故かバスドラムも。 「メシ、コンビニでもえぇ? どっか行くと時間アウトやろ」 「未成年をこんな時間から拉致って家に連れ込むのもアウトじゃん」 「あ~、それも言えるな」 「なんでも良いよ、ご飯は」 「了解。じゃ、行くで」  車は走り出す。憂鬱感たっぷりの未成年(ルナ)と、ワクワクが止まらない大人を乗せて。  コンビニでいつものスイーツに+高級アイスがルナの夕飯となり、もう来ないはずのビルの地下二階に、早速来てしまった事への自分の運命への抗えなさによる無力感は、新発売のアイスと共に飲み込んだ。いつたべても美味しい。アイスは。 「早速やけど、ニュース観たか? 今朝の」 「観てないよ。なんかあったの?」  話に意識は半分。もう半分は手の中のチョコレートパフェ。小難しい話でもしようものならシャットアウト。スイーツだけはいただきます。  そんなルナの姿勢はよく見て取れるが、清音は続ける。 「モカが死んだ」 「……へ? モカって……なんで?」 「正確には殺された……か。これ見てみ」  向けられたノートパソコンの画面を見ると、ニュースサイトが開かれてあった。  『今朝未明、二十五歳男性二人を未成年暴行、死体遺棄の疑いで逮捕。容疑者は、花田一朗(25歳無職)・芝崎正(25歳会社員)。共に、バンド仲間である大河内桃華(17才無職)を花田の自宅に連行し、性的暴行を加えたのち、殺害。加害者の一人、芝崎容疑者による自首で犯行が明らかとなった』 「モカ……」  ただの事件の一つとしてしか画面の中の記事は捉えられなかった。目の前で死ぬこと以上の衝撃は無かったから。 「イッチは前からそんな感じでモカを見てんのはわかってたけどな。これがLEOの最期や。百獣の王も本能には勝てへんみたいやな」  短い付き合いではあったが、話も合ったし、何より、同じ歳の同性の初めての友達だった。それでも、ルナのパフェを食べる手は止まらなかった。  そんな事に嘆き、悲しむのは『あの日』で終わってる。  人はいつか別れるものだ。形はどうあれ。モカとはそんな終わり方だったというだけの話だ。 「話ってそれだけ?」 「……強いな、ショックやったとか無いんか?」 「人はいつ死ぬかわかんない中で生きてるんだよ。アタシだって、明日死ぬかもわからない。清音もね。モカはそれが昨日だっただけ」 「間違いは無いけどな……ほんで、いつ死んでもえぇように生きてるか?」 「……」  そんなわけがない。ルナは閉口した。このまま、陽と会えないまま終わりたくはない。 「何が言いたいの?」 「バンドやろうや。俺と二人で。まぁ、二人やから正式にはバンドとは言わへんけど」 「……関わりたくないって言ったよね?」 「でも今こうして話してるやん」 「来なきゃしつこそうだから」 「ほんなら、毎日でも勧誘しに行ったるわ。それでやってくれるんやったら」  本当に実行しそうだから面倒だ。モカより何より、この男が一番厄介だと気付いて、上手く罠にハマってしまった気がしてならない。 「なんでアタシ? もっと上手い人いっぱいいるじゃん」 「上手い奴はな。でも、持ってるオーラがちゃう。歌ってる時、妙にキラキラしてて……眩しかった。トキメキってこういう事なんかなって」 「は? トキメキ?」 「いや、恋愛とかそういうんやないで? 勘違いすんな。なんちゅうか……観てたくなるっちゅうか。もし、お前が他の奴とバンド組んでいつか対バンとかやってステージ観た時、俺は絶対後悔すると思ってな。ここで歌ったあの日からずっとや。だから一緒にやってくれへん?」  熱烈で真摯な言葉達には、惑わせようなどという思いは全く感じられない。むしろ、いつもギターを弾く時以外は飄々としている男が、真剣な顔で、ギターを弾いている時と同じ顔をしていた。  ルナも、ただ拒否しているわけではない。バンドをやれるのならあのギターの音で歌いたい。だが、人と関わる事が本当に億劫だった。仲良くなった人はみんないなくなってく。やってられない。 「それでも……アタシはイヤ」 「じゃあ、一回だけステージに上がってくれへん? 実はライヴが決まってたんやけど、俺も大人げ無くて昨日のザマや。キャンセル料とかは問題やないんやけど、次のバンドの事を考えると、ライヴハウスからの信用問題にもなるから出るだけはしときたいんやけど……ヴォーカルだけはどうにもならんねん、俺はギター弾いたり他にも音出したり色々忙しいからな」 「LEOとして出るって事?」 「まぁ、そうやな。それが正真正銘のラストや」  渡されたモバイルには、ライヴハウスからの連絡メールが表示されていた。これから一ヶ月後の十二月十日。場所はroute40。他の出演者は……。 「LOST……」 「そうやねん。モカが好きだったんやろ? せっかくのチャンスやったんやけどなぁ……あ、でも魅由っちゅうの観てみたいな」 「魅由さんならいないよ。もう死んでるから」 「有名な人やったんか? 俺あんまりパンク界隈はあんま詳しくないからな」  モカもいない。全て話してしまってももう構わないだろうと、事の成り行きをルナは全て話した。小学生の時に知り合った事。ライヴに連れられて行った事。酒の席も同席していた事。そして、彼女の最期まで。  清音は深く息を吐いて、呟いた。 「無駄やったんやな、あいつの全てが」 「言えば良かったのかな? もういないって」 「あいつの生き甲斐をお前が奪う事も無いやろ。いつか勝手にぶつかってた壁や。そこでどうするかはあいつ次第やったけど……」  それももう、答えは無い。  どうしたものかと、ルナはパフェを平らげて思案した。帰るにはどうすれば良いか……ではなく、理由が欲しかった。歌うだけの理由が。自分を納得させる為に。 「こういう言い方もあれやけど……モカの無念ちゅうか、代わりやないけど……一回やってくれへん?」 「代わり?」 「あぁ……ん?、なんちゅうかな。そいつらに見せたったらえぇやん。今の自分。成長を」  LOSTのメンバーとは会いたいとも思わない。魅由を死なせた事を無かった事にして、ヴォーカルを代えて何事も無かったようにバンドを続けている事に当時は怒りもしたが、蒸し返した所で魅由が生き返るわけでもない。意味の無い事に意義は無い。 「アタシには歌う理由が無い」 「楽しかったやろ?」 「……まぁ」 「楽しいからやる。立派な理由やん」  清音はテーブルの向こうから大きな手を差し出す。握手を求めるその手を掴んだら、もう戻れそうにはない。  こんな流れで始めるなんてふざけてる。友達が死んで、悲しまなければいけない場面で、新しくバンドを組もうとしているなんて。その差し出された手を叩こうかと思ったのだが、思っていた以上に、手に勢いは無かった。掴んでしまったのだ。これが自分の本心なんだと、観念するしか無かった。 「良いよ。一回だけね」 「よっしゃ、期待してんで! 曲何やる? めっちゃ速い奴とそこそこ速い奴と、速い奴があるけど。なんでもえぇよ」 「……速いのしか無いじゃん」 「アホか。お前は元気良くかっ飛ばしてくのが一番や」 「じゃあ、選曲は清音に任せる。決まったら教えて」 「オッケー。じゃあ、この三曲やな」  パソコンの中のファイルを開くと、『ルナ用』と表示された三曲が音楽ソフト上に展開されて、清音はその中の一曲目を再生した。  ドラムもベースもギターも入っている。あとは声が乗るのをその曲は待っている。 「歌詞は?」 「無い。書いてえぇよ。やっぱヴォーカルが書くべきやろ」 「……この用意の良さってさ、狙ってたの? アタシがやるって言うのを」  返事の代わりに、清音はニンマリと笑って見せた。  対照的に、まんまとハマってしまったルナは、高速で流れるドラムやベースの攻撃的な音にノックアウト寸前だった。  凄い……カッコいい。  完全に、清音にしてやられたわけで、ここまでの敗北感を味わった事は無い。 「あーもういい。やればいいんでしょ! 三曲の歌詞!!」 「ものわかり良くて助かるわぁ、よろしくな、相棒」  そう言うと清音はカチッと、ルナがモバイルに歌詞を入力し始めたのを見計らって、用意していた歌詞を削除した。  [2]
 もう、十二月になった。まるで一か月前の事など無かったかのように、ルナは清音の家に行き来して練習していた。  生身の喉はどんどん進化する。それが面白くもあったし、他に趣味も無いルナには良い遊びだった。  それでも、まだ日出陽の捜索を諦めたわけではない。闇雲にネットで情報収集をするのではなく、大河内財閥を始めとする七身会(しちしんかい)の情報からまずルナは当たった。  関東だけに限らず、日本の全域に散っている。当たるべき、全ての連結を担当している、『堀ノ内財閥』は横須賀にあった。  在学中に聞けた、保健医・木山美沙の話にあった、米国との共同プロジェクトである『日 出 計 画(サンライズプロジェクト)』を考えると、米軍基地がある事からもそこに鍵があると睨んでいい。  問題は、一市民の学生である自分がどうやって会社に行くか……だ。  そんなモヤモを吹き飛ばす為にも、歌は最高だった。  声を出さなかった頃が思い出せないくらいに、ルナは普通に話すようになっているし、歌う事にも抵抗は無かった。  ライヴ前日を迎えたこの日も、清音の家で練習を重ねていた。 「つーか、三曲って時間余るんじゃない?」 「順調に行けば余るな。チビ、ピアノでも弾くか?」 「弾けないって。もう前日だし」 「えぇからやってみ」  ヴォーカルの音を取る為に用意されたキーボードを清音は指して、渋々ルナはその前に立った。パッと見、どこがなんの音なのか全くわからない。 「何弾けば良いの?」 「なんでもえぇよ」 「じゃあ……」  適当に、三つほど白い鍵盤を人差し指で叩いた。ド・ミ・ソと、単調な音が鳴ると、清音はギターでそれを弾いた。 「ベースの時と一緒や。適当に弾け。それに合わせる」 「そういうことか……だったら」  なんの音が鳴っているのかわからないくらい、両手の指を広げて叩いた。清音はすぐにその音を当ててギターで弾く。 「単調やねん、チビ。脳みそもちっちゃいんちゃうか?」 「うるっさいなぁ……」  途切れないように、和音とも言えないような音の連なりを重ねて行くと、清音はそのガチャガチャの音すらも輪唱のように追い掛けて来る。  乗りやすくてえぇなぁ。  すぐムキになってやりだすルナの扱いやすさに、清音は口元のゆるみを抑えるのが大変だった。顔を伏せて、ギターに専念しているふりをして、この楽しさを顔に出していた。  清音のギターがリズムを刻む。ルナのピアノ演奏も、自然とそのリズムに乗る。  あれ? ピアノ弾けてんじゃん! 何がどの音なのかもまだわかっていないが、ルナの弾く音が弾んでいる。音符ががそのままキーボードから放たれているように、楽しげだ。 「言っとくけど、全然弾けてへんからな!」 「そんなことないって! ほら!」  猫踏んじゃったのリズムでガチャガチャと。  ガチャガチャ踏んじゃっただけの音の連発も清音は丁寧に追い掛ける。エレキギターに持ち替えた清音はエフェクターで様々な音を出してルナの音を追走する。 「あー! もう疲れた! 終わり終わり!!」  バン! っと鍵盤を叩いて鳴った音も、清音はギターを叩きながらその音を再現した。 「ライヴでこれやらへん? めっちゃ楽しいやろ?」 「アタシらだけ楽しんでもしょうがないじゃん」 「やってる側が楽しまへんかったら、客も楽しめるもんやない」 「そうかもね」  モカは楽しそうではなかったなと、二度のライヴを思い返した。トゲを主張し、毒々しさを主張し、客席に見える姿はハリボテ感が剥き出しだった。魅由への憧れの事を知っていたからこそだったかもしれない。何も知らない客は、絶えず客席を睨むように挑む彼女をどう思ったのだろうか。 「俺はいつもライヴ前に言ってんねん。盛り上げようともえぇライヴにしようとも思ってない。ただ、楽しもうやって。それだけや」 「百万人相手にしてる人が何言ってんの?」 「楽しんでるで。めっちゃ楽しい。いつか一緒に……あぁ、今回限りやったな」 「……うん」  そういえばそうだったと、言われてルナは思い出した。けれど、この楽しい時間を終わらせたくないなどと思ってしまったら、それこそ清音の策略にまんまとハマったようで後味が悪い事この上無い。だから否定はしなかった。 「ま、今日も遅いし送ったるよ。待ち合わせは明日現地でえぇやろ?」 「うん」  明日のライヴが終われば、今度こそここには来ないだろうと、清音の家を振り返った。壁一面の鏡に映る自分の顔の寂しそうな事。なんて顔してんだと、頬を張った。 「気合い入れか?」 「そんなとこ」  髪も随分と伸びた。それだけ、彼がいなくなってから日が経ったのだと思い知らされる。 「清音、売れたら世界中の人に曲が届くの?」 「そらそうや。それが人気モンの証や。誰もが俺の曲聴いて、お前の歌詞を口ずさむんや。世界中でな」 「……そっか」  どこにいるかもわからない人にも、アタシの声は届く? そう言いかけて止めた。やりたいって言っているような気がして。  やる資格は無い。『バンド』と関わると、人を不幸にしかしない気がして。  車の中では、恒例となった『清音セレクション』の楽曲が延々と流れていた。  パンクもロックもメタルもポップスも関係無く、様々なジャンルレスの音楽だ。どこかの民族音楽のようなものまで流れるから、この男は本当に音楽が好きで、どこまでも自分のギターの音を届けようとする気が伝わって来る。そこに乗る歌は誰の歌なんだろうと、ルナは眠気に負けて目を閉じた。   ライヴの始まる時間てこんな早かったんだ……。  まだ昼前だというのに、ライヴハウスに入ってなければいけない。魅由さんはいつも夕方だった気がしたのに……。と、ルナは雲のかかった空を見ながら清音を待っていた。  ルナの学校が終わる時間に集合時間を合わせてくれていたのかもしれないし、彼女の性格上、リハーサルなんてものもしないのかもしれない。それを知っていたらモカもリハーサルに参加しなかったんだろうなぁと思うと、ほとほと、バンドマンとしてはあまりに良くない見本であると、同じ立場になった時に気付いた。  それでも、ステージでのあの独特の空気があるから惹かれる  今の自分にはどこまでのものが出せるのか。 「遅い……」  一人でいると騙されているんじゃないかと心配になって来る。別なヴォーカルを連れてやって来るんじゃないかと。こういう時に限って来るのが遅い。まだ約束の十分前ではあるから催促も出来ないが。 「よ?、おはよーさん。地元だけあって早いな」 「……なにその荷物?」  ギターが二本と、ケースの形から見てバスドラム。それを叩く為のペダルにシンバルが一枚。そのシンバルを支えるスタンドをキャリーでゴロゴロと引いて、もう片手にはパソコンケースを持っている。清音はご機嫌に歩いて来た。 「言ったやん。俺は色々忙しいからヴォーカルは出来ひんて。全力を見せたるわ。あ、あと車からキーボード持ってきてくれへん?」 「あれホントにやるの?」 「時間余るやん。今から一曲覚えるんやったらえぇけど。どうする?」  選択肢なんか無いに等しい。しょうがなく、車の鍵を受け取って、ルナはライヴハウスの裏手にある駐車場に向かった。  聞き覚えのある声が聞こえて、一瞬、眉間にシワが寄る。LOSTのメンバーだ。知らない女の声は、魅由と入れ替わりで入ったヴォーカルだろう。  学校では目立つ髪色だったが、そんなルナもここでは至って普通の髪色だし、ここにいるわけが無いと思っているせいか、相手は何も言う事無くライヴハウスに入って行った。今更蒸し返す気も無いのは向こうも同じなのかもしれない。  キーボードもキャリーに括ってあったお陰で、簡単に引きずり出せた。  改めて考えると、彼らの前で歌う事にもなり、どうせなら魅由さんに見せたかったと、出逢ったコンビニに目を向けた。同じような格好の女が三人くらい中にいる。自分もあんな感じに見えるのだろうかと思い、 「目立つなぁ……」  少し、自分を客観的に見れた気がして面白かった。身長は足りていないが。  ライヴハウスに入ると、まずはフロアに集合し、出席確認的に名前を呼ばれる。学校みたいだなぁとルナは思いながら、LEOの名前を呼ばれて手を挙げた。  バンド名を考えるのも清音だろう。自分とやるならどんな名前を付けるんだろう。ルナがあれこれ思案している間に、確認は終了。そのまま、リハーサルの為に残る最後の出番となるバンドを残して、全員楽屋へ。  魅由に連れられて来た事はあったから初めて見る景色でも無かった。壁にはどこもかしこもバンドのサインが書かれていて、魅由さんも書いたらどうですか? なんて言った覚えがある。彼女は笑って、 「あたしがサインなんかしたらこのライヴハウス、国の指定文化財になっちまって面倒じゃん。だからしてやんねーよ」  そう言っていた。 「ここな、前の俺のバンドでサイン書いたわ。まだ高校生やったけど。みんな将来売れた時の為ってサイン考えて、書いて笑ってた」  壁を眺めるルナの隣で、清音はそんな昔話をした。 「そのメンバー達は今もバンドやってんの?」 「どうやろな。解散してから会うてないし。連絡も取ってないしな」 「続けるのって難しいんだね」 「せやな。色々解散理由はあるけど、やっぱ高校生やと普通に就職したいとか、バンドは趣味やったとか。俺だけやったな。本気でてっぺん取ろうとしてんのは。せっかくや、お前もサイン書いたったらえぇやん」  フフッと、ルナは思わず笑みを零し、 「アタシが書いたらこのライヴハウス、国の指定文化財になって面倒じゃん」 「ハハ! 言うやん。それでえぇよ」  ガヤガヤとしている狭い楽屋で、BGMでも流すように清音はアコースティックギターをケースから取り出す。爪弾かれるメロウな曲は聞いた事が無い。繊細な音が楽屋の空気を包んでいく。 「そういう曲がやりたかったのに……」 「もっと大人になってからな」 「……今回限りだって」 「お~、そうやったな」  一転して、テンポアップ。ノリの良い、ルナに合わせたような曲だ。歌っている姿を想像しながら、清音の出す音も跳ねるようだ。 「こういうのは好きやないんか?」 「好きだけどさ……速いのばっかじゃイヤってだけ」 「そうやな。ライヴでも緩急は大事やな」  ステージの方からリハーサルの音が漏れて来て、清音のギターの音は止まった。無音が好きではないのかもしれないと、今までの清音との時間を思い返して、ルナは思った。  ギターを弾かないと、音楽を流す。家でも車でもそうだ。  そのまま、時間は過ぎて行く。   LEOのリハーサルはほとんど清音の時間だった。ギター二本とバスドラム。そして、パソコンから流れる音の音量チェック。そこにルナが声を乗せたのは一曲にも満たない。  出番は六組中の二番目だった。あまり良くない順番だというのは、ルナにもわかる。最後(トリ)のバンドを見て、あれが今日一番人気のあるバンドなのかと、清音に聞いたがそうでもないらしい。 「よっぽどやないとトリが一番て事も無い。トリの前が一番て考えといたらえぇな」 「なんで?」 「そうすると、最後のバンドが演ってる間に客が減って閉店が早くなるやん。スタッフも早く帰れるやろ。客もバンドもいつまでも溜まるからな」 「そうだね」  魅由さんも他のバンドのメンバーと酒を飲み始めたりなかなか帰らなかったなぁと、思い出す。もちろん、ライヴハウスでの飲酒は禁止。だから缶ビールの缶にガムテープをグルグルに貼って飲むのが決まりだった。  今思えば、そこまでしてここ飲まなくても良いじゃんと、いつも魅由が陣取っていた通路の角を眺めた。   リハーサルも終わり、開場時間になったらしく、にわかに声の数が増える。それほど客は多くはないようだ。月曜日のまだ五時前という時間は学生くらいしか来られない。  楽屋に緊張感はあまり無い。一組目のバンドがピリピリした空気に変わって行くだけで。 「衣装とかあんなら今のうちに着替えといいた方がえぇで。今日女の子多いし、タイミング被ったら最悪やろ」  楽屋と言っても更衣室もカーテンも無い。女子は着替えるならトイレしかない。男は平然と半裸になったりして廊下でも着替えるのに。不公平だなぁと思いつつ、鞄を持ってルナはトイレに向かった。  大好きなパンクファッションブランド『PUNXX』の福袋に入っていた、スパイダー柄の黒いベビードール。普段着るにはどうかなぁと思ってタンスに眠っていた為、今しか無いと鞄に詰めた。 「頑張ってみるから。ちょっとだけ力貸してね。地下で最強なんだよね?」  左腕の傷に、ルナはキスした。もうヒリヒリと痛む事も無くなってしまった薄い傷。しかし、その傷が薄くなることが、彼の存在を薄くするわけではない。思い出す度、今もどこかで戦っているかもしれない日出陽との日々が昨日の事のように鮮明に浮かぶ。  上はベビードールのみというのは、魅由のライヴ衣装を真似たものだった。ただ、いかんせん体形が違うのでセクシーさは無い。それに三層のフリルスカートがヒラヒラとボリューミーに踊る。可愛らし気な服装でも、足元のブーツはすり減ったゴツいブーツだ。  トイレから出て、清音の元に戻ると、不可解なものでも見るような訝し気な目を向けた。 「お前のそのファッションポイントはなんやねん」 「ん~……ちょいセクシーみたいな感じ。福袋に入ってて着る機会無かったんだけどさ、今かなと思って」 「今でも無いわ。いや、生涯無いわ。セクシーとか……今世紀最大のボケやん。見てみ、そのスカスカの胸元」 「うるさいなぁ。そんなのわかってるって!」 「まぁえぇけど。それでやる気になるんなら」  腕の傷の事が気になる清音だが、あまり言いたい事ではないだろうと、これまでも見てみぬふりをして来た。左手の薬指にも同じく傷があるのはなんなのか。見た目に反して暗い過去があるのかもしれないと思った反面、色々な人を失い、モカの死にも一切の動揺も無かった時点で、どこか経験値が違う事は感じていた。  一組目の出番がやって来る。まだ未成年のようにも見える。会話に聞き耳を立てていた清音は、彼らが初ライヴだという事を知っていた。 「ガチガチやん。力抜いて楽しんで来たらえぇよ」  突然声を掛けられた面々は委縮しながらも会釈して、緊張を希釈させた。 「ありがとうございます。頑張ります」 「うちのもお初やから。あんま緊張はしてみたいやけどな。ほな、行ってき」 「はい!」  経験を積んでいない、未熟さを熟知しているが故の素直さが、懐かしいような、そんなもん初めから無かったなぁと、清音は苦笑して見送った。  その一方で、モバイルで歌詞を確認しながら緊張感をわずかに膨らませているルナは、 「あれ? ルナじゃね?」  聞き覚えのある声に振り向くと、LOSTのギター・祐司であり、魅由を殺した事件の当事者だった。まるでそんな過去すら無かったように、ピンク色のウニみたいな髪を揺らしながらにこやかに近づいて来た。 「……久しぶり」 「おう。今誰に付いてんの?」 「は?」 「いや、だってここ出演者しか入れねーし。また魅由ん時みたいに誰かにくっついて入ってんだろ?」 「今はあれがギター。で、アタシが歌う」  祐司は一瞬考えて、目を見開いた。 「歌う!?  お前が!?」 「ホント」  魅由と一緒にいた時、この男とは話もしなかった。何か話しかけられても、頷くか、首を振るかしかしなかった。それが歌うというのだから信じられないだろう。 「つか、あのギターってさっきアコギ弾いてた奴じゃん。あれとやんの? 今日パンクライヴだぜ?」 「別に良いじゃん」  さっさと行け。アタシは歌詞覚えなきゃいけないのに。清音がいつもアドリブで何かやって困らせるから、アタシもメロディも歌詞も変えたんだから。本人に内緒=リハ無し。でも、昨日家で歌った時は上手く行ったから出来る。 「うちのヴォーカルになんの用やねん」  清音はいつもの軽い口調を保ちながらも、棘を隠そうとはしない。 「昔からの知り合いなんだよ。それより、こいつ歌えんの?」 「歌えるで。歌えるけど、めっちゃ声は出てへんしピッチはガタガタやし走るし最悪なヴォーカルや」  祐司はなんとなく安心したような表情で、同意しようと息を吸った瞬間、 「でも、めっちゃ楽しそうに歌う。必死に声出して、多分、こん中で一番楽しんでる。それが見てて気持ちえぇ……最高のヴォーカリストや」 「今最悪って言ったじゃねーか!」 「技術的なモンはしゃあない。お前も俺も、初ライヴの頃なんか最悪やったやろ? でも、持って生まれた空気はどうしようもない。ルナにはそれがある」 「ちんたらアコギでライヴやる気かよ」  今度は清音に棘を刺す。が、この男にそんなものは意味が無い。 「アコギも色んな弾き方があるで? 教えたろか?」 「こっちゃパンク一本で十年やってんだよ」 「そやったな。だからまだここで燻ってんねん。ホンマにえぇモンはジャンルを超える。見せたるわ」 「は? 路上でやっとけよ」 「ハハ! 路上で俺らがやったら人集まり過ぎて野外フェスになるやん」  祐司はただ清音を睨みつけ、ルナにその目を向ける。 「魅由の真似したってお前にあぁはなれねぇよ」 「知ってる。アタシはアタシだから」  酒に焼けて煙草で痛んだ、ハスキーな声には成れない。それでも、持って生まれたこの声で、この自分で勝負するしかない。成り行きとはいえ、今日はステージに立つと決めたのだから。  まだ何か言いたげな顔で祐司が去って行くと、清音はルナの頭をポンポンと叩く。 「そろそろ出番が来る。楽しもうや」 「うん。つーか、頭叩くのやめてよ。励ましてるつもり?」 「おぉ……丁度えぇところに手置く所あると思ったら頭か。すまへ~ん」 「謝る気無いじゃん」  未成年バンドが帰って来る。Tシャツにジーンズといったラフなスタイルだったが、全員、汗を流し笑って戻って来た。部活後みたいだと、ルナは思った。間違いなく年上なのだが、学校に行かなくなったせいで勝手に卒業しているような気分だった。 「LEOさんセッティングお願いします!」  スタッフの声に、機材の多い清音は幕の閉じたステージに駆けた。  上手にアコギをギタースタンドにセッティングし、そのまま弾けるように。位置を決める。手元の車輪付きのハイテーブルには、パソコンを開き、音を流せるように。足元には今肩に掛けているエレキ用のエフェクターを。下手にはバスドラムとシンバルを一枚。ペダルを二・三度踏んでバスドラムの感触と音の鳴りを確かめる。  ルナも、センターに置かれているマイクを握って、声を出そうとしたが、 「やめとけ。さっきの奴に本番でビビらせたったらえぇ」 「声も出てないピッチもガタガタの最悪なヴォーカルに何も驚かないんじゃん?」 「走りまくる。が抜けてるで」  清音はニッと笑って言う。ルナも負けずに言い返す。 「突っ走るから付いてきてよ。モタモタしてると置いてくよ」 「アホ抜かせ」  清音は拳を突き出す。その顔は、ライヴ開始を告げるように、真剣な表情だった。その手に比べたら小さな握り拳をぶつけてルナは頷いた。 「やるで」  ルナが頷いたのを見て。ステージ袖のスタッフに、清音は頷き、 「このまま行くんで客電落として良いっす」  スタッフが無線でその旨を伝えると、一気に闇に包まれた。  暗い中でも、清音は右腕を高々と挙げ。バスドラムを踏む。一定のリズムがドン……ドン……と響き、開場の空気を変えて行く  四拍目でシンバルも叩かれる。幕が閉じている今、ドラマーが一人でやっていると思っているだろうが、ドラムの音を出しているのはギタリストだ。  幕がゆっくりと下手側から開く。見た事の無いステージの使われ方に、客も少し興味を惹かれたようだ。  右手を上げ、一気にギターに叩き付ける、その暴力的なまでの動きとは裏腹に、音は繊細に、弦の一本一本まで綺麗に鳴る。  四度叩くと、清音はバスドラムのリズムを加速させる。ギターも疾走を始める。  まだ、これは一曲目ではない。イントロでもない。  どうせ歌えへんやろと、清音はルナを横目で見た。  これが魅由やモカが見た景色かと、ルナは全身の脱力に襲われていた。  誰も興味を持ってはいない。モバイルの光が客の俯いた顔を照らしている。話して笑っている顔の女たち。つまらなそうに腕を組んでいる男。ステージとはなんという孤独なんだろうと、ルナは思い知らされた。仲間であるはずの清音はと言えば、一人で軽快に音を出して楽しんでいるようだし。  喉が閉まる。それが一番最悪だった。声を出さなかった時期の方が長いから、それが自然体だった。口を開けても、声が出ない。  その異変に、清音が気付かないわけがない。なのに、未だに楽しそうに一人でギターを弾いている。  結局、彼はステージに立てればそれで良かった。キャンセルにさえならなければ。アタシじゃなくても良かったじゃん。  なんでこんな所にいるんだろうと思い、帰りたくなった。モカの気持ちがよく分かる。マイクを持つ手が少し緩んだ。  客席に、昔見た顔が見えた。『古川ひかり』──祐司の彼女で、昔も顔だけなら何度か見た。  去年も顔だけは見た。原宿で陽とデート中。LOSTメンバーの彼氏とは別な真面目そうな男を連れていた。その男も地下戦争で死んだらしい。  陽は何をしているだろうか。この声を届けたい。  今、頑張ってと言いたい。  帰って来いと言いたい。  遊びたい。またキスしたい。例え、それが人造物だとしても。  『人間』しか愛してはいけないのはおかしい。思考し、意志を持ち、行動する彼を『人間』とは言えないというのはおかしい。何も変わんないじゃん。  左手を見た。傷を付け合った放課後の教室を思い出す。  うるさいくらいに一人で賑やかなギターやバスドラムの音。その音を出す為に、アタシを利用したのなら間違いだ。ふざけんな。アタシがこの声を届ける為に、売れる為に利用してやるんだ。  左腕の薬指の傷跡(ペアリング)にキスして、ルナはマイクを握った。 「早く弾いてよ。歌えないじゃん」  喧嘩腰の口調に、客席はざわめく。百人ちょっとは入っているだろうかと、教室の人数を思い浮かべて、ルナはフロアを見渡した。 「イントロや」 「長すぎ」  清音が待ってましたとばかりに、上手に行き、パソコンで(オケ)を流す。ドラムとベースと、あらかじめ録っておいたエレキギターの旋律が流れる。強靭なグルーヴとビートはパソコンに任せ。アコギを持って再び下手に戻った。  清音が右手を上げる。  走り出すヴォーカル(ルナ)を追走しようという、あり得てはいけない演奏だ。ルナも人差し指を立てた左腕を挙げる。 「ワン・トゥー・スリ、ゴー!」  二人は跳んだ。勢い良く始まったルナの戦い(ライヴ)は始まった。  黙ってるか歌うか(デッド・オア・ライヴ)なら、アタシは歌うよ。  この声がどこまでも届くように。   [3]
 結果的に、初ライヴは成功と言えたのかもしれない。反省点は勿論多々あった。  着替えを終えて鞄に入れたままの昨日買ったミルクティーをルナは開けた。満足していた。次のバンドが演っている間も、その次の間も、清音は何も言わなかったが、ステージを去る際に、突き出した拳と、顔が出来を物語っていた。満足そうだった。素直に礼を言われているような気がして、なんだか照れくさくなったルナは、握った拳で清音の腹をポコッと殴ってステージを去った。最後に客席から聞こえたのは、笑い声と、『可愛い』という自分に向けられた声だった。  三曲という少ない楽曲はパンクではなかった。それに、祐司は再び噛みつきにやって来た。 「お前らなんなんだよ、あんな曲」 「盛り上がったよ。LOSTよりも」 「うっせぇよ。魅由がちゃんと歌えば良かったんだ」 「清音のギターで盛り上がったんだから、楽器の問題じゃない?」  同じギタリストの祐司は、逆立った髪が更に怒りを増したように、清音を睨みつけた。 「おい、パンクが出来ねぇんならここに出る必要ねぇだろ」  清音はようやく片づけを終えると、タバコに火を点けた。 「パンクってなんやねん」 「あぁ? パンクってのは音楽のジャンルで、こう……尖った感じで……」 「そんな話してへん。始まりは社会への反抗やろ。ジャンルって枠の中でやってるようじゃホンモンのパンクやない。見た目だけやん。そんなジャンルの壁にだって俺らは反抗したる。お前らはここで燻っとけ。昔の知り合いか知らんけど、俺はルナをちょっとてっぺんまで連れてくわ」   ルナを見た後で、清音は咳ばらいを一つ。 「あ、でも今回限りやったな~、ルナは」  そんなに喧嘩吹っ掛けといて、ここで辞めるって言うと思ってんの? それが狙いなんだろうけど。理解は出来るが、少々癪に障る。 「連れてくってなに? アタシの為に弾くんじゃなかった?」 「……そうやったな」  上手い事丸められた気がしたものの、これで良い。そうしなければ始める事は出来ない。力が欲しい。自分の存在を、世界中の人に届けられる力が。  そんな初ライヴから、一週間が経っていた。  次のライヴは未定。曲の精度は増し、あれから三曲が増えた。ライヴ翌日の練習で、清音は本音を漏らした。 「ピアノ、いらんかったな……」 「だから言ったじゃん!」 「どうせ歌われへんかと思ってな。時間潰しに考えたんやけど。キーボードが荷物になるしステージで邪魔やし。どうせ歌えるんやったらもう一曲増やしたったら良かったな」 「次は増やせばいいじゃん。初めてだったし、アタシもあんなに歌えると思わなかった」 「ちゅうか、メロとか変えるなら言っとけや。焦るわ」 「清音だってやるじゃん」 「俺は練習でやろ? まぁ、良かったけど。それでグダグダになってたらステージから蹴り落としてたで」 「まぁ、それはそれとしてさ、次のライブまでに曲増やそうよ」  自分から言い出した事とはいえ、一週間で三曲は大変だった。  清音はストックから引っ張り出すだけだから問題は無いし、まだまだ出せるくらいだ。  しかし、ルナも負けずに三曲の歌詞とメロディを作成して歌いこなす。早く声を届けたくて必死だった。堀ノ内財閥への企業訪問も頭の片隅にまだ残っていた。方法が依然見つからないままだが。 「次のライヴはいつやんの?」 「ライヴなぁ……」 「まぁ、アタシが言える話じゃないけどさ。なるべく早くやりたい。曲も覚えたし」 「ほな、今から行こか」 「……今?」 「ついでに衣装も買おうや。あんな衣装で動きまくるからパンツ見えてたで。客が可愛そうや貧相な胸も。一歩間違ったら児童ポルノを見たっちゅう事で客全員逮捕や。とんでもないテロリストやな、お前」 「……」  まるで汚物でも見せられているかのような言い方。最前列には何故か女の子が集まって来ていたから興味も無いだろうけれど。 「だったら原宿行きたい」 「えぇよ。俺が選んだる」 「……自分で決めるからいい」 「お前が選ぶと同じやろ。セクシーのあとに(笑)が付くねん。セクシーって言葉も号泣してたわ」 「うっさいなぁ……だったら選んでよ。でも、あんまり高いのは買えないから」 「金は俺が出す。バンドの必要経費やからな」  普段使えるものを選んでくれるといいなぁというルナの思いは完全に裏切られ、清音が真っ先に向かったのは、フリフリふわふわの服が並ぶロリータファッションの店だった。  何もわかってないと、ルナは眩暈がした。なにより、こんな可愛らしい服は似合わないし、それが似合いたくもない。 「店員さん、一番派手なヤツ一式で選んでや。こいつに合うやつ」  アバウトな注文にも関わらず、店員はにこやかに、一式用意して勝手に話は進められている。何を言わせるでもなく、買い物は勝手に終わっていた。 「それ着てライヴやんの?」 「店員も可愛い言うてたやん」 「店員は誰にでも言うよ」 「まぁ、売らなあかんからな」  そのまま、二人は新宿に向かう山手線に乗り、東口に降り立った。モカと知り合い、清音と知りあった場所。そういえば、あれからここでボーっとしている事は無くなった。 「今度は清音の衣装買うの?」  自販機で買ったミルクティーを開けながら、ルナは尋ねる。アルタビルを指し、清音は目的を告げる。 「ちょっとそのビルのトイレで着替えて来い」 「……衣装じゃないの? これ」 「衣装や。ライヴ早くやりたいんやろ?」  意図が読めない。ストリートでもやるのかと思ったが、ギターも持っていないし。仕方なく、着替えてビルの外で待つ清音の元に戻った。道中、擦れ違う女が「可愛い」と振り返る。 「気のせいだから」  ルナは呟く。恥ずかしい。白いドレスみたいな服が場違いで、パーティー会場に辿りつけないで迷子になっているみたいで。 「えぇやん」  「良くない。可愛いとか言われたし」 「……なんて言われたらえぇねん」 「カッコいいとか言われた方が嬉しい」   清音は肩を落とし、溜息をつく。オーバーなその仕草に、さすがにイラッと来た。 「お前がお笑いやりたいとは思うてなかったわ。ゴメンけど、俺は音楽しかないねん」 「やりたくない! つか、なんなの? 清音はこういうのが好きなの?」 「んなわけあるか。俺はもっとこう……シェイプされたボディで古き良きルックスと、繊細さと力強さを兼ね添えた奴がえぇな」 「……芸能人とかで言うと?」 「Taylor(テイラー)やな。今じゃもう巡り合えへん」 「外人? まぁ、日本人もあんまわかんないけどさ」 「フェルナンデスとか今でも有名やけどな」 「日本人なの? それ」 「日本やで。うちにも一本ある。七弦でゴッツイ音出すで」 「……ギターの話? どういう女が好みかって聞いたんだけど」 「俺の恋人はギターって言うたやん。女には興味無い。ヴォーカルとしてとかミュージシャンとしてやったら興味はあるけど」  もうギタリストとしては最高でも、人としては末期だと、ルナは目を細める。 「だったらこの衣装のチョイスはなに?」 「ステージで目立つやん。ジャンルなんか関係無い。その格好なら動きまくってもパンツもスカスカの胸も見えへん」 「ベビードールだって胸まで見えてないって」 「俺の身長からやと見えんねん」 「……見んな」 「見せんな。興味無いわ、ボケ」  東口の広場は、相変わらず人の往来が多い。もうじき夕方になり、帰宅ラッシュが始まれば、更に人は増えるし、オフィスの多い西口や南口はこうして立ち止まって話しているのはいい迷惑だ。  喫煙スペースで清音は煙草に火を付け、落ちていた缶コーヒーの空き缶を拾った。  ゴミを捨てるのかと思えば、地面にカンカンと打ち付ける。何をしているのかと、怪訝な顔で遠くからルナは見守っていた。その意図が分かったのは、空き缶の音がリズミカルになった時だった。 「……まさかね」  それすら楽器にしようとしている? 打ち方のコツを掴んだらしい清音は、タバコを棄てて戻って来た。 「ペットボトル持ってたやろ? 貸してくれへん?」 「良いけど、中身入って……」  容赦なく、まだ半分以上あるミルクテイーを捨てる。 「よっしゃ、ライヴやろうや」 「ミルクティー……」 「後で買ったるわ、そんなモン」  右手に空き缶、左手にペットボトルを持って、清音はガードレールがドラムに見えているかのように構えた。 「曲何やる?」 「ちょっと待ってよ、ここでやんの!? しかもそれが楽器?」 「音楽ってな、リズムとメロディとそれを演奏する人がいたら完成すんねん。たったそれだけや。客もいっぱいいるやん」 「ただの通行人だから。それに、こんな格好じゃ目立つし」 「だから買ったんやん。衣装にって」  またしても、まんまとハメられた。歌うまで帰れないやつだと、ルナは肩を落とす。 「元気が取り柄なんやからそうしょげんなって」 「ただのバカみたいな言い方すんな」 「お? どうでもいいってのが得意技やなかったんか?」  言われて気付いたが、最近その言葉を口にしていない。  傍から見れば両手にゴミを持って構えている男と、ロリータファッションの女という妙な組み合わせは、チラチラと見て行く人がいる。 「いいよ。やるよ。一曲ね」 「次のライヴ曲増やすんやなかったっけ?」 「外でやるならもっと準備してからやりたい」 「オッケー。用意しとくわ」  したり顔の清音を見ると、また思うままの言葉を選んでしまったようだと、ルナは敗北感に包まれる。  手持無沙汰が気に入らなくて、マイク代わりにモバイルをルナは掴んで、左手を挙げた。 「ワン・トゥ・スリ、ゴ!」  器用に空き缶とペットボトル(ゴミ)が奏でる軽快なリズムは妙に跳ねる。身体も自然と動く。脳内に、もう清音のギターの音がこびりついているせいだ。  一曲終えて、ルナは逃げるように走り出した。着替えの入った紙袋を持って、清音はのんびりと歩き出した。 「おもろいなぁ。ギター持って来れば良かった」  そう思わせてしまったが最後、帰宅後に、清音は拡声器をネットで注文した。  二〇四六年の現代社会と言うものは実に便利なもので、夜間の注文にも関わらず、翌日の夕方にはもう届いていた。残念なことに、ルナはバイトという事でこの日に使われることは無かったが。  なんとなく、何か仕込んでいるんだろうなぁという思いを抱きつつ、更に翌日の水曜日、ルナは練習の為に清音の家を訪れた。  ドアを開けた瞬間に、テーブルの上に鎮座している拡声器に、予想は当たってしまったと、踵を返そうとした。 「おい、待てや」 「その拡声器なに!?」 「やるんなら準備したい言うたやん。だから買ったんや。俺もギター持って行くし、完璧や」 「……普通にライヴハウスでやろうよ」 「なんやかんやで楽しそうにやるやん」  だって、実際に歌うと楽しいんだからしょうがないじゃん。パタリとドアを閉めて、拡声器を手に取った。マイクよりも重い。学校の避難訓練でよく校長先生とかが持ってて、音が割れまくってて何言ってるかわからないやつだ。 「これで歌ってもしょうがなくない?」 「大丈夫や、他にも用意はしてる。昨日お前が来れんかったから一人で寂しく作ったわ」 「ギターがあれば寂しくないくせに」 「ようわかってるやん。でもな、ギターはビラに対して意見せぇへんからな」  一枚のチラシを、テーブルに置いた。先日の初ライヴの写真をキャプチャーしたものが貼り付けられ、URLも書かれている。 「ホームページなんか作ったの?」 「基本やからな。でもな、まだバンド名決めてないやん? だから仮で付けといたわ」  ホームページにも、チラシのトップにも、『清音と愉快な仲間』と書かれてある。まさかそれがバンド名とは思いもしない。  急いでバンド名を考えないと、大変な事になる。このビラが配られる。 「行きしなにコンビニあるからコピーしてから行こうや」 「待って! バンド名ってもっとちゃんと考えようよ!」 「なんか考えてえぇよ。俺は特にこだわりないし」 「知ってる。待って。考えるから」  このバンドで何がしたい? 何を伝えたい? ルナはグルグルと考えてはチラシの裏に書き込んだ。  この声を伝えたい。届けたい。どこまでも。下手でもいい。アタシのままで。 「KEEP(キープ) MYSELF(マイセルフ)……どう?」 「曲名っぽいけど、それでえぇならビラもサイトも作り直すけど……えぇの?」 「うん。アタシがアタシのままを表現して行く。このバンドは」 「俺の存在は無視か」 「大人しくギター弾いといてよ」 「はいはい」  悪い気はしない。自分が一番やりたい事を要求されているのだから。  百枚ほどコピーして用紙切れになったところで、二人は再び新宿に向かった。  前回よりも遅い時間だけあって、人の往来もある。 「行くで、KEEP MYSELFの一発目」 「良いよ。今回はちゃんと五曲ね」  清音がアコースティックギターを構え、右手を高々と挙げる。  持ち慣れない、重たい拡声器をルナは構える。 「ご通行中のみなさん、KEEP MYSELFです! ちょっとだけ聴いてってください!!」  清音とアイコンタクトをして、拡声器の割れた音声が告げる。  ワン・トゥ・スリ、ゴ!    『DEAD HUMANOIZE』[1]
 十二月二十四日という、昔から日本中が一層賑やかになる日を迎えた。  あれから、KEEP MYSELFは三度の路上ライブを行い、今日は四度目を迎えようとしていた。  固定客もいた。ネットで開催日を告知している効果で、その子はやって来る。  初めてのライヴの結末は最悪だった。警官がやって来て、チラシを清音がばらまき、ギターケースに急いでギターを突っ込んで、ルナは拡声器と鞄を手に逃げるように走った。  盛り上がってはいた。が、締め方としては最悪だ。でも、ルナは、 「面白い、こういうの」  駅とは反対方向に逃げ、ガードレールの下で息を切らしながらそう笑った。 「それなら良かった」 「毎回こんな感じになるのかな?」 「まぁ、しゃあないな。盛り上がるんやからな。俺のギターで」 「アタシの歌もちょっとは聴いてくれてるって」 「ちょ~っとだけな」  これが、売れる為の一歩だと思えば、『楽しい』以外何も無い。  そんな初ライヴでばらまかれたチラシを見たのか、女の子が次のライヴから来た。白い猫のキャラクターのぬいぐるみを持って、そのキャラクターがプリントされたトレーナーを着て、花柄のスカートを履いて、学校指定みたいなPコートを着ていた。彼女はルナをジーッと見ては、モバイルでたまに写真を撮る。  四回目の今日も、準備している時から既にいる。  服装は変わっていた。ダサいと思っていた時からは想像がつかない。黒いロリータファッションに、黒猫のパペットを右手に嵌めている。 「一緒に撮ってあげよっか?」  一方的にカメラを向けられるのも、まだ慣れない。ルナの提案に少女は目を瞬かせ、周りを見回す。私に言ってるんですか?と、自分を指さした。 「うん。いつも見ててくれるし。ありがとね」  少女は右手のパペットを顔の近くまで掲げると、 「ルナちゃんが可愛いから。って莉亞ちゃんが言ってる」  腹話術師を目指しているわけではなさそうだ。完全に『莉亞ちゃん』の口が動いている。 「君の名前は? クロネコちゃん」 「わ……吾輩はただのネコで莉亞ちゃんの代弁者で……その……名前はまだ無い」 「ノアね。アタシと陽(たち)のネコの名前あげる。リアちゃんとノアか。またどうせ警察来るけど。今日も楽しんでって」 「おい、あんま虐めんなや。せっかくのファンやろ」 「ファンて……」  清音のギターの用意が出来た所で、ルナも拡声器の電源を入れる。モバイルを向けられているのがわかってちょっとばかり気恥ずかしさもあった。 「つーか、そのアングルだとパンツ見えない? 大丈夫?」 「だ、大丈夫って莉亞ちゃんが……」 「オッケー♪ じゃあやろっか」  ギターケースをバスドラム代わりに踏みつけ、清音はリズムを取る。 「ご通行中のみなさん、KEEP MYSELFです、ちょっと騒音でお邪魔しまーす」  ギターが一気に疾走し、ルナも前かがみになって歌う。跳ぶ度に、回る度にスカートがふわふわと動き、小さな身体でも多少大きく見せられる。  二曲目で、既に警官の姿が遠くに見えた。 「クラップ・ユア・ハンズ!」  ルナが扇動すると、パチパチと手を叩く音が聞こえる。信号待ちをしている通行人にも手を振り、ルナは煽る。  鬼さんコチラ、手の鳴る方へ。そんな調子で、手拍子の音が大きくなると、何かをやっていると嗅ぎつけた警官がやって来る。  莉亞が向けていたモバイルを取り上げると、しゃがみ込んで一緒に写真を撮って返す。そして頬にキス。 「ありがと。またね」 「チビ! 行くで!! なにしてんねん」 「ファンサービスってやつ?」 「ハッ……十年早いわ」  取り残された観客は、二人が逃げる様を見送り、日常に帰って行った。一人、まだ呆然と頬に唇の感触と耳元で囁かれた声に、顔を真っ赤にしている莉亞を残して。  一緒に写っているルナの笑顔の眩しさと、目も口も泳いでいる自分の顔を比べて、もう死んでしまいたくなった。 「ルナちゃん顔ちっちゃい……」  そのまま、待ち受け画面に設定された。  [2]
 もう、当分新宿駅は駄目だと、清音は判断した。  告知しているせいもあるが、告知しなければ客は来られない。あのパペット女すらも。  申し込んでおいたライヴハウスでのライヴは翌月だった。それまでにルナに経験を積ませておきたいところではある。  帰宅後に、テンションの下がらないルナの勢いのまま練習し、中断させられた鬱憤を晴らすように、ルナはよく動いて声も出していた。 「つーかさ、清音ってなんで関西弁なの?」 「なんやねん、急に」 「いや、エセっていうか……本物の感じしないし」  休憩を兼ねた夕飯を食べながら、ルナは清音の言葉の違和感を指摘した。色々な言葉が混じっているような、そんな滅茶苦茶な県債弁に違和感を覚えたのは、つい最近だった。 「ま、生まれやないしな。住んだ事も無い」 「なんでわざわざ関西弁?」  清音は煙草の煙を燻らせ、単音弾き(アルペジオ)の寂しげな旋律をBGMにしてゆっくりと話し始めた。 「変身願望があんねん。男って。自分やない何かになりたい。それが俺は今の俺やった」 「元々どういう人なの?」 「北の方の出身で、学校じゃ浮いた存在やった。毎日がつまらなくて、暇で授業中勉強はするから成績も良くて、運動も出来る。ほんでまぁ顔もえぇやろ?」 「自分で言う?」  まぁ、別に悪くも無いけど、と心の中にしまいつつ。 「モテたけどな。でも別に興味も無い。同級生とか付き合ったやらなんやら言うて盛り上がってるけど俺は全然興味無い。本気で自分がゲイなんかと思ったけど、それも違って。で、たまたまネットで見たライヴ映像に、俺は心惹かれて。この人になりたい。こうなりたいって変身願望が生まれた」 「それがギター?」 「そう。ソロのギタリストやった。海外のライヴ映像でな。客席の後ろに海が見えて、何万人かが埋め尽くしてる。そいつら皆がステージに向かって歓声上げて楽しんでる。その人を目指して、真似して関西弁使って、ギターも真似して。ほんでバンドも組んでステージに上がった時、全く違う自分に馴れた気がしたんや。その延長やな。もう、いっそ常に自分の住んでるとことは違う言葉で話してたら違う自分に成れた気がして。そのままやな。なんか無いんか? モカは魅由になりたいみたいな感じやったけど」 「無い」 「まぁ、女の子がなりたいもんてお姫様とかそんな感じやからな」 「男だってヒーローになりたいとかそんなモンじゃん」 「アホか。男はもっとあるわ。王様とか……海賊とか色々」  マンガの見過ぎ。と思いつつ、ルナは冷静に返す。 「アタシはアタシのままで良い。そのままが良い。だからバンド名もそうしたの」 「自分大好きなん?」 「好きか嫌いかじゃなくてさ、こう生まれたんだからこのままで勝負するしかないじゃん。もしこんな風に生まれてたらとか考えても意味無いし。だったらもうこのまま勝負するって決めた方が良い」 「下手な男より男らしいやん。好きやで、そういうやつ」 「それってさ、やっぱゲイなんじゃん?」  休憩は終わりと、ルナはマイクを持つ。拡声器よりも軽いし声は綺麗に出るし良い事ばかりだ。  今年の誕生日は一人じゃなかったと、ルナは一人、その嬉しさを声に乗せた。  ライヴハウスでの二度目のライヴは年が明けた一月十九日の土曜日と言う、集客には良い日だった。  年跨ぎで練習中に、清音が知らせた時、ルナはようやく外のライヴから解放されたと喜んだ。  いちいち警察が来て中断させられるのも面倒だったし、その度にビラをばらまいて帰るから、正直、新宿には足を運びにくくなっていた。  だが、その効果もあり、ネット上ではちょっと話題になっていると、清音はSNSの書き込みを見せた。ライヴの動画を上げている人もいる。 「勝手に宣伝してくれるのは便利やろ?」 「ヘタクソ……」  客観的に自分の歌を聴くと、そんな感想しか出てこない。が、実に楽しそうにちっちゃい身体で歌う。スカートの翻り具合も、実に際どく、これはこれで良いかもしれないと思った。  魅由のようなセクシーとは違うが、これが自分の持ち味なのだろうと。 「可愛いって書き込み多いやん」 「雑音とも書かれてるけどね」 「人間の音楽なんて常に一定やないし、万人に好かれるもんやない。誰かにとっては癒しでも、誰かにとってはノイズでしかない。そこはまぁしゃあないやろ」 「どう考えても拡声器が悪いよ」 「アンプ繋いでマイク持つわけにもいかへんやろ。代々木公園行ったらストリートの奴いっぱいおるけど、あそこはなんかグループが出来てるからルールみたいなんあって面倒やし」 「あぁ……そういうの嫌い」 「やから、ゲリラ的にやるしか無いねん」  なんとなく、納得してルナはライヴに備えた。莉亞はきっと来るだろうと思って。彼女にも来て良かったと思えるものを見せたいと。そしてなにより、初めて最後までライヴを見せる事が出来る。  ライヴ当日は、生憎の雪だった。  今回はパンクのイベントではなく、ロックのイベントで前回ほどうるさく言われる事も無い。客ももう少し受け入れる体制ではあるはずというのが清音の予想。  『香海莉亞』という名前のチケット予約があった事も清音は報告したが、まぁ当然来るだろうと思っていたルナは別段喜びもしなかった。それよりも気になるのは、最近増えている『VH』という名前を目にする機会が格段に増えている事だった。  清音もそれは気にしていたが、所詮機械の合成音声とCGであって、人間の音楽とは区分けが違うというのが見解で、気にしてはいなかった。  VHを調べてわかったのは、画面で見る分には人間と変わらないが、専用のゴーグル型デバイスを使う事で、実際にそこにいるかのような体験が出来る米国発祥の技術であり、現在はコンタクトレンズ式のデバイスも開発され、専用の無線イヤフォンを連動するアプリを併用する事で、ゴーグルという大きなモバイルを使用せずとも、常にVHを視認し、声も聴けるという事だった。  今は本国のみの運用で、日本での実装が待たれているらしい。  また、VHは一度人物を設定する事で、人工知能により作詞作曲をこなし活動して行くとのこと。  その代表的なアイドルとされる、現在一番人気の『華桜凛音』率いるバンドGUILTYが、今回のイベントの出演者になっている。  人間のように、小さなライヴハウスから上り詰めて行こうとうストーリーを展開したいのかわからないが、ルナには気になる存在だった。  米国製の人工知能。それも、最近になって急に売り出されてきた。それだけで、ルナにはどうにも気になる。  地下戦争の件とは関係無い事なのだろうかと。  リハーサルが始まると、どこかの会社員のような若い男が三人で、段ボール箱に詰められたゴーグル型のデバイスを、出演者に配り歩いた。ホールに集まるように言われ、ルナと清音も渋々従った。 「はい、みなさんおはようございます! わたくしたちは株式会社NEST(ネスト)の日本支部の者で、私は川上といいます。今日はイベントに参加させて頂きありがとうございます。本日は、来場されますお客様の前に、当社の新開発製品Mixed(ミクスド)・Reality(リアリティ)・Device(モバイル)。通称M R D(エムアールディー)を体験して頂こうと思います。MRDとは、ユーザーさんのいる現実空間とVHのいる仮想空間を交差させて複合世界を構築する物です。皆さん、VHにご興味はおありでしょうか?」  深夜の通販番組みたいやなと、清音は嫌悪感を?き出しに三人の会社員たちを睥睨した。  誰もVHに興味があるとは言わなかった。別に敵対しているわけではなく、ただ単純に興味が無かった。 「では、皆さん、こちらのゴーグルを装着して、ステージの方をご覧ください。これからGUILTYのリハーサルを始めますので」  皆が往々にゴーグルを装着した。ルナも着けたが、クリアのレンズ越しに見る世界は何も変わらない。 「皆さん用意は出来ましたか? それでは、GULTYのリハーサルを始めます」  ステージ袖から、人が出て来る。アルタの街頭ビジョンに出ていた華桜凛音もいる。黒髪の長い髪を揺らし、名前通りの和風のロリータファッションで、どう見てもそこにいる。  ゴーグルを外すと、ステージは照明が光っているだけで誰もいない。曲は流れているが、それはただ音源を流しているだけだ。 「スゴイ……」  もっともシンプルで、これ以上無い感想だった。日本でも待たれているコンタクトレンズ型のデバイスが市場に出回れば、このVHは一気に手を広げて行くだろうと予想が出来た。それは、誰もが同じだった。  一曲のリハーサルを終えて、ヴォーカルの少女が手を挙げる。 「こんにちは、みなさん。華桜凛音です。今日はよろしくお願いします。一生懸命歌いますので、ライヴを成功させましょう」 「一生懸命やっただけで成功せぇへんわ」  清音が噛みつくと、華桜凛音は言う。 「すいません。新人がしゃしゃりました……」  しゅんとなる彼女の表情も、仕草もCGとは思えない。だが、清音が驚いたのは、そこではなかった。 「会話出来とる……? 入力してんのか?」 「いえ、私は仮想世界で生きているので皆さんと同じように会話も出来るんです。今付けているMRDが、皆さんの生きる世界と、私たちの世界を交差させてるんです」 「人工知能か……」 「はい……そうなんですけど、あまりそう言われるのは好きじゃないですし、悲しいです」  頭が痛くなる。俺は何と話してんねんと、ゴーグルを取った。ステージには誰もいない。ただの映像だ、あれは。  ギターが上手かった。ベースもドラムもヴォーカルも。ピッチのズレも無い。正確なリズムと、聴き心地の良いコード進行とメロディを熟知している。ビジュアルも良い。 「売れるやろな、一部では」  所謂オタク層。昔から、同じようなものはあった。ここまで現実に肉薄してくるものではなかったが、清音もその存在は知っていた。だが、それが一般に受け入れられることは無かった。今回だって同じだろう。  清音はそう読み、楽屋に戻った。  GUILTYのリハーサルが終わった楽屋は静かだった。あれが人工知能の創る物なら、もう人間なんて要らないのではないかとさえ思えた。  シンとした楽屋の中で、清音はいつも通りギターを弾いた。ただし、今回持ってきたのは、黒いボディに白いトライバル模様の入ったものエレアコで小さなアンプに繋いで音を出した。最近はアコギを弾いている姿しか見た事が無いルナには珍しいものだったが、そういえばLEOではアコギでは無かったことを思い出した。 「買ったの?」 「いや、貸してたんや。俺モデルのギター作りたい言うからな。ギターのメーカーが」 「……どういうこと? プロでもないのに」 「あ~……言って無かったな。ちゅうか、LEOでも言うてへんかったけど、一回デビューしてプロになってんねん。高校中退してな。そっから二十歳でバンド解散して……そん時結構売れたからな」 「……ただの上手い素人じゃなかったの!?」 「言うたやん。てっぺん連れてくって。途中まで行けたんやけどな……お前、信じてなかったんか?」  さすがに、『どうでもいい』では済まなかった。清音モデルのギターが作られるというだけで、どれだけ凄い人なのかはなんとなく想像がついて、そんな人間と一緒にやっているという事がとんでもないプレッシャーになった。  腕のタトゥーのトライバルと同じものが、ギターにも入っているせいで、完全に身体の一部に見える。  いつもよりも指の動きも、音の鳴りも良い。清音はその感触を楽しみ、味わい、顔を緩ませた。 「これやこれ! さすがTaylorや」 「あぁ、こないだ言ってたやつ? もう巡り合えないって言ってなかった?」  まるで、子どもみたいだと、楽しそうに弾く清音を見て思っていた。ルナも、周りにいたバンドマンも。 「欲しいのがあんねん。それはもう出回ってないから手に入らんちゅうだけで。でも、これも最高や! 弾いてみ」 「……弾けないから。他のギターわかんないから比べられないし。他のバンドにギターの人に弾かせたら?」  清音は一瞬でムッとした顔になる。 「例えばやで、自分の彼氏を他の女とヤッて来いって言えるか? 言えへんやろ? そういう事や、今のは」 「どういうつもりでギター弾いてたの!?」 「そりゃもう……激しく求めあうわけや。弾きたい俺と、弾かれたいこいつが」  ギターバカを通り超えた。子どもみたいな可愛げも一瞬で消え失せた。 「変態じゃん、もう」 「なんとでも言えや。俺が死んだら棺桶にこいつを入れてや」 「アタシに頼まないで。大好きなギターちゃんに言えば?」 「ギターは勝手に棺桶に入ってくれへんやん。ちゅうか、怖いやろ、それは」  周りのギタリストも笑って、自分のギターを持ってきた。 「なんか弾きませんか?」 「おぅ! えぇよ。なにやる?」  みんな、人間の力を確かめたいのかもしれない。CGや人工知能の創る完璧な音楽を前に。  清音はリハーサルも要らないくらいに、次々にセッションを挑まれては弾いた。そこに歌を乗せて来る人もいたし、ルナも知っている曲を口ずさんでは和やかな時間を楽しんだ。  本番が始まる。七組中、KEEP MYSELFは四組目。一組目のバンドが出て行った時、既に楽屋には妙な一体感があって、全員で送り出した。 「えぇなぁ、こういうの」 「嫌いなんじゃなかった? こないだ言ってた代々木公園てこんな感じじゃないの?」 「あっこはちゃうねん。他の奴より自分たちの方が凄いって奴の集まりやからな」 「確かに代々木ってそんな感じありますよね!」  仲良くなったギタリストが口を挟む。 「せやろ! こういうアットホームなのは好きやねん。音楽ってまず愛やん?」 「ギター愛じゃん、ただの。変態的なレベルで」 「お前もマイクとヤッたらえぇやん。形もちょうどえぇし」  他のバンドマンも笑っていた。あまり、そういう冗談がルナは好きではなく、 「……今日ヴォーカル無いよ? キプマ」 「そう機嫌悪くすんなや。ゴメンて」   キプマとは、バンド名が長くて面倒だと、清音が略した名だった。  その語感が可愛げがあって、ルナも気に入った。無言で着替えに鞄を持ってトイレに向かおうとすると、 「おい、皆の衆。うちの姫のお通りや、どいてやってや」 「そういうのいいから!」  衣装的に、本当に姫みたいになって冗談で済まないから困る。  個室に入り、カバンからモバイルを取り出して『株式会社ネスト』を検索。予想はしていたが、やはりVHを開発・販売している会社でしかない。日本支部と言ったのは、本社は米国にあるからでもう考えても地下戦争に無関係とは思えなかった。  単純に、日出陽のように外見では全く人間と遜色無い人造物に、完全にそこにいると思わせたVHの人工知能を乗せる。今はモバイルを通してでしか視認出来ないVHが、本当にこの現実社会にやってくる事になる。 「それが狙い……?」  VHの最終地点はどうなる? 何がしたい? こんな事の為に陽を作っただけじゃないはず。保健医は様々な事に使われると言っていた。労働力にも使われると。VHもその中の一部になるのかもしれない。エンターテイメントすら人工知能に任せるというのだろうか。  ドアがノックされて、出る事を急かされる。 「今出ます!」  言えた事に少しばかりの成長を感じながら、ルナは急いで着替えを済ませてトイレを後にした。  清音に相談出来る話でもない。だが、バンドの先行きに関係するわけだから話した方が良いのかもしれない。 「顔怖いで。悪かった。つい調子乗ってもうた」 「いいよ。大丈夫。そんなに怒ってないから」  少しは怒ってるんやないかいというツッコミを、清音は飲み込んだ。  本番を終えて戻って来た一組目のバンドの面々の表情は、とても、良いライヴが出来たようには思えなかった。 「どうやった? 客入っとった?」 「入ってますけど……やりにくいですね。ほとんどGUILTY目当てですよ」 「そっか……しゃあないな」  その報告に、ルナは一つの仮説を思いついた。  もしかしたら、既に『日出陽』の量産品は出来ていて、人工知能も搭載されていて、市場に出回っているとしたら。この客は全てその人造物だとしたら。  周囲の人間さえも、全てが人造物に思えて来て、ルナは首を振ってその疑念を振り払った。  吐き気がして来る。実験の為に地下で戦争をして、一体何人を犠牲にしたのか。  『犠牲』という言葉も引っ掛かる。なぜ高校生だけ集められたのか。その死は何故法的にも認められたものなのか。 「おい、顔が怖いって。なんかあったんか?」 「ううん。なんでもない。ただちょっと考え事」 「まぁ、なんでもえぇけど。本番までには気持ち切り替えといてや」 「うん。大丈夫」  客席の方から聞こえる声は多い。どれほどが『人間』なんだろうかと考えてしまう。その中に、本当に莉亞はいるのだろうか。  二組目も、三組目もやりにくそうにして帰って来る。 「別に元々ホームでもないんですけど、アウェイ感が凄いですよ、キヨさん」  先ほどから、清音と仲良く話している、『パブリック・エネミーズ』というバンドでギタリストを務めるショウが、戦果を報告した。両腕にいかつく入ったタトゥーが人目を引いては目を背けさせるが、腰が低い。 「ま、いっちょかましたるわ。客席で見とき」 「姫も頑張ってください」 「そのあだ名定着したの?」  別なバンドマンも、廊下のあちこちから姫への激励が飛ぶ。こんな服着てるせいでと清音を睨みつつ、 「はいはい、やりますやりま~す」  投げやりな返事も可愛いらしいから、本当によくわからない。  いちいちステージを動き回るのが面倒だったという前回の反省も踏まえて、今回は清音を上手に、ルナを下手に分けてポジションを決めた。センターはその時に応じて取り合いすれば良いという二人の決定の元、セッティングを終えた清音は、ルナに拳を突き出した。 「大丈夫か?」 「問題無いって。かましてくるって言ったんだからやるしかないじゃん。みんな観てるし」 「せやな」  拳をぶつけ、二人はステージの左右の位置に着いた。  清音が右手を上げる。バスドラの重低音がゆっくりと響き始める。左手ではパソコンで音源を流し、同時に、重低音も加速して行く。振り下ろす右手がギターの弦を(はじ)く/叩く/疾走。今弾いたばかりのギターの音色がすぐにループして、清音は別な旋律を重ねる。  幕が一気に開く。二人は笑った。ほくそ笑んだ。先陣を切り、敗北を喫した者たちの言葉の意味がわかった。  VHを観る気しかない。すでにほとんどの人がゴーグル型のモバイルを装着し、ステージに目を向けるものは少ない。  その中で、ルナは見つけた。ここにいるとアピールを続けるように、揺れるパペット(ノア)を。 「みなさん初めまして、KEEP MYSELFです! こっちは勝手に楽しむんでそのレンズ越しに見といてください。ワン・トゥ・スリ・ゴ!!」  二人は跳ぶ、一瞬、パペットの位置も高くなった。  今日は見晴らしがえぇなぁ。清音は笑みを零す。いつもは夕陽に照らされて客の顔が見えないが、今はどういうわけか晴天で客の顔がはっきり見える。  心配していた、ルナの調子も良い。声も良く伸びるし、いつもよりもピッチだって安定している。挑発するような態度とは裏腹に、走る事も無い。路上ばかりで歌っているせいで、ライヴハウスで歌う事が楽しいのかもしれない。それに、歓迎されてないとはいえ、客はこのライヴハウスのキャパいっぱいの五百人はいるだろう。楽しめないわけがない。  二曲目に入っても、客の反応は変わりがない。いよいよ本格的にさっきの推測が現実味を帯びて来た。ルナは足元のモニターに足を掛け、前のめりになって歌う。  面白いほど今日は声が出る。喉が開いているのがわかる。最後方で心配そうに姫を見守る者たちの姿も見える。  そんな顔してないでノッてよ。 「クラップ・ユア・ハンズ!」  路上の方がもっと冷たい目を向けられる。目が、邪魔だって言っていた。舌打ちだってされた。なにより、警官に止められる。もっと歌いたいのに。もっと遊びたいのに。もっと楽しみたいのに。  邪魔してみなよ、ステージ(ここ)に上がってみなよ。そんなレンズ越しに見てる仮想世界よりも楽しいからさ!  二曲目が終わる。にわかに、目が合う客がいる。レンズ越しにではなく、ステージをニコニコと見つめる目と。  行けるんじゃん? スカートをふわふわと翻しながら、ルナは跳ぶ。清音のギターが生み出すグルーヴに身を任せると、自然と身体が跳ねる。 「みんなも跳んで!」  遠慮無くルナは煽る。観ていない人がいるのは当然だ。興味の無いバンドに目を向けるわけが無い。だってこれは雑音だ。  やかましいギターにヘッタクソな歌。人間が織りなす音楽(ヒューマノイズ)は、コンピューターみたいに上手くはない。それでも心惹かれるものがあったっていいじゃん? どうでもいいって切り捨てたって構わない。嫌いだろうね、アタシの声なんか。華桜凛音みたいに可愛くはないから。  清楚な棘の無い声を聴きに来ているなら、聴かせてあげようか。  三曲目が終わる。清音のギターのチューニングを含めてルナが間を繋ぐために、マイクを握る。 「ん~……と……」  清音がチラッと見たのが視界に入った。水を飲んで喉を潤す。可愛い声……清楚……と、ルナはイメージした。 「改めましてぇ、KEEP MYSELFでぇす」  少し高い声で、マイクを両手で握る。さっきまでの挙動との差に少しばかり客席がざわめく。 「ヴォーカルのルナとぉ、ギターの清音の二人でやってまぁす。あと二曲なんですけどぉ……みなさ~ん、楽しんでいってくださぁい」  アイドルイメージの可愛らしいイメージ=どっかの担任のモノマネ。吐きそ。  男から歓声が飛ぶも、ルナは待ってましたとばかりに中指を建てる。声のトーンも元に戻る。 「バーカ!」  清音は笑いを堪えて、急遽ギターの音色をエフェクターで変更。ルナの刺々しさを存分に活かすべく。  やるやん。気ぃ狂ったんかと思ったけどな。  良い音出すじゃん。カッコいい。  目が合った二人は、ステージ上の位置を変える。それでもパペットがルナの方を向いてくるのはちょっと面白かった。  へヴィな音と、ミドルテンポの曲は、魅由ならもっとセクシーに歌えるだろうと思ったが、それはルナ自身ももう求められない事はわかっている。清音がいちいちうるさいから。  スカートを摘み。太ももを露わに舞う。  頑張ってるやん、チビ。  センターに集った時、清音が耳打ちする。 「エロいやん」  うっさい。ギターに言っとけ、変態ギタリスト。バン! と、その言葉を込めてギターの弦をルナは叩き、ノイズを残して四曲目は終わった。二人とも楽しくてしょうがなかった。 「あ~ぁ。もう最後だって。どうする? 清音」  水分補給中にいきなり名前を出され、清音は吹き出しかけた。そんな打ち合わせはしていない。 「いきなり話振んな。喋りのアドリブ弱いねん」 「エセ関西人だもんね」 「おい、エセ言うな。名誉棄損で訴えるで」 「そんなデタラメな関西弁使ってる方がバカにしてるよ」 「おし、わかった。今日が終わったら次は法廷で会おうや」 「というわけです、次のライヴは法的らしいです」 「んなわけあるかい!」  軽快な喋りに、客席から笑いが起きる。ルナも、これには後ろを向いて肩を震わせて笑った。 「でもね、ライヴってアタシら演る側がいて、みんなっていう聴く側がいて、音と歌さえあれば出来るんだよ。ステージなんていらない。どこだって出来る。ライヴハウスだって駅前だって……法廷だって。それが人間の音楽」  ゴーグルもCGを投影する機材も要らない。人間なら。  マイクを置いて、ステージ袖にスタンバイさせておいた拡声器を手に取り、ルナは客席を見回した。最初とほとんど変わっていない。僅かにゴーグルを外した人もいるが、結局全部相手にしちゃいない。 「じゃ、ラスト行くよー?」  清音がバスドラムでカウントを取る。アコギに持ち替えた事により、ストリートスタイルで二人は挑んだ。  本当にこの客たちは人間なのか。わからない。どうせ見た目じゃわからない。面倒な世の中になってる。ぶっ潰したい……。  身体をくの字に折って、ルナは全身全霊で声を出した。最後のサビに入る前の間奏で、ルナは客席を睨む。これが社会。陽を創り、陽が逆らった社会。 「機械に支配されたこの社会に告ぐ? アタシは負けない! 絶対! アタシのままで生きて行く?」  バンバンと胸を叩く。どれだけ平坦なモノかと証明したがどうでもいい。  何してんねん……ったく。  ルナの気迫に気圧されそうな清音だったが、引く男ではない。跳び、勢いを加速させてラストまで疾走した。  歌い終えた時、どっと汗が吹き出て全身を脱力感が襲った。やり切ったという思いと同時に、頭の中が開けたようにスーッと気持ち良かった。 「ありがと。KEEP MYSELFでした」  パチパチとまばらな拍手を受け、二人はステージを降りた。 「あっつ……こんな衣装着せるせいで」 「えぇやん。イカしてたで、ラストの。胸無くて良かったな」 「うっさい」  楽屋では、客席から戻った仲間達が拍手で迎えた。 「姫! すげーカッコ良かったっス?」 「キヨさんギター滅茶苦茶美味いんですね!」  あちこちから賞賛の声が飛んで来て、何に反応して良いのかわからずにいると、 「姫! ファンの子が呼んで欲しいって。どうする?」 「行くけど……姫やめようよ」 「いやいや、姫ですよ」  引かないショウに、もう良いやと思いつつルナは楽屋を出た。誰がいるかはわかっている。  ドアを開けた瞬間に駆け寄ってきたのは、見た事の無い三人の女の子達だった。とはいえ、歳は同じか少し上かくらいだろう。 「ルナちゃん? カッコ良かった!」 「おぁ……ありがと……」  予想外な事が起きると上手く言葉が出て来ないのは今でも変わらない。話せるようになったとは言え、これまでほとんど人とのコミュニケーションを絶ってきたルナにとっては、いきなりスムーズな会話をするというのは難問だった。 「ルナちゃんの音源とか無いんですか? 欲しい!」 「ホームページとか無いんですか?」  詰め寄られる有名人の気分を味わい、逃げたくなるがここは我慢するしかない。楽屋に一旦戻ってチラシを持って彼女達に配る。 「音源は無いんだけどね……」 「作らないんですか? ホームページからダウンロードとか、インディーズの配信サイトとか……なんでも良いんですけど……」 「清音に聞いてみるよ。アタシだけじゃ決められないから」 「はい! 待ってますね!」  作るならCDだ。魅由もそうしていたし、未だに部屋に残っている。物として残しておけば、彼女が死しても、売れないバンドだったけれど壊さない限りは一生残る。  楽屋に戻ると、清音が手招きする。 「なに? つーか、アタシも言いたい事ある」 「まぁまず俺の話を聞けや。音源作ろうと思うねん。こいつら皆欲しいって言うから。ほんでな、どうせなら──」 「CDが良い!」  勢いの良さと、ご機嫌なトーンに清音はキョトンとして、 「CDがえぇねんて言おうとしたんやけど……今更時代遅れやから嫌かと思ったけど、賛成ならえぇわ。で? 言いたい事って?」 「同じだったからいいや。いつからやるの?」 「明日でえぇやろ。今日はもう休みや」  そうこうしているうちに、五組目のバンドも帰って来る。戻るなり、清音とルナの前で、ギターの男はガッツポーズして通り過ぎて行く。ヴォーカルの女性はルナにハイタッチを求めた。だが、成功したという安堵は楽屋には広がらなかった。次はGUILTYの出番だ。  セッティングは要らない。代わりに、先ほどのネストの社員がアナウンスする。 「これからVHのバンド、GUILTYによるステージが始まります。配布されたMRDを装着の上、ご覧下さい。それでは、今しばらくお待ちください」  観客の声が徐々に大きくなる。楽屋にいても、その盛り上がりが伝わって来るくらいに。  曲が流れた瞬間、歓声は止むこと無くボリュームを増して行く。楽屋に悔しさが広がって行く。 「こんなの……オレら前座にすらなってねぇよ……」  GUILTYの曲が漏れ聞こえてくる楽屋で、誰かがポツリと呟いた。清音もギターを弾く事はせず、目を閉じて音に聞き入っていた。  耳障りが良いな、流石に。変なフックも無ければひたすら丁寧な演奏で粗さも無い。 「おもろないな、こいつら」 「そうですよね。CGのキャラ押しで成功してるだけで」 「ちゃう。曲としておもろないって話してんねん。ここで曲だけ聴いてたらCGも何もあらへん。俺らもそれは一緒やろ? 音源だけで勝負したらモヒカンもロン毛も金髪もCGも関係無い」  清音は至って冷静だった。それでもこいつらは売れる。今言われた通り、ビジュアルは最大の武器でもある。見た目から興味を持って曲を聴かれるというのも、それはセールス方法の一つだ。そこで曲がつまらなければ見た目だけだったというだけの話。  だから目を引くように、ロリータファッションで拡声器を持ってストリートで歌うという、方法をルナに取らせた。結果は成功だったと言える。  清音はタバコに火を点け、次に自分達はどうするべきかを思案した。  まずは音源。次は……。  ルナに目をやる。眠たそうに、退屈そうにあくびしていると、他のバンドのヴォーカルの女が声を掛ける。たどたどしく話す様が、コミュニケーション不足を物語る。  ビジュアルはえぇねんけど……話させるとあかんなぁ。ギャップと言えば聞こえはえぇけど……。  ステージ上でキレたような様がやたらと、脳裏に刻み付けられた。背も小さく可愛らしいルックスから放たれるクールな印象が崩れる。そもそも、なんであんな事をいきなり言い出したのかもよくわからないが、ルナとしてもGUILTYへの敵対心があったのだろうと読んだ。 「寝られへんなぁ、今日は」 「大好きなギターとイチャイチャしとけば?」  誰にでもそれくらい軽口叩けや。 「物足りへん。お前も要る」 「休みって言ったじゃん」 「俺に火ぃ点けたんはお前や。終わったら付き合え」  どういう意味かは聞かなくともわかる。この男には一般の男女の『付き合う』という言葉からの安易な発想には至らない。 「新宿無理じゃん」 「今ならえぇやろ。夜やし。色々人がうるさいし」 「帰り送ってね。つか、もう時間的にアウトなんだしさ」 「えぇよ」  そして、清音は楽屋にいるバンドマン達に向かって声を張った。 「新宿でストリートやるで! 暇な奴来ぃひん? その後飲もうや」 「ちょお!! 送ってくれんじゃないの?」 「俺んちまで送る。みんなで飲んだらえぇやん」 「未成年つかまえて何言ってんの?」 「姫なら大丈夫っすよ!」 「姫やめろ!」  既に酔ったようなバンドマン達は、今日のVHという共通の敵を迎えた仲間意識が芽生えていた。  結局、十人程が集まり新宿で騒いだあと、そのまま朝までカラオケで飲み明かし、敗者の会は終わりを迎えたのだった。  誰一人、今日のライヴで本当に狼煙を上げた者を知る事は無く。  [3]
 気怠い空気のまま、翌日の音源制作は始まった。清音と仲良くなったパブリック・エネミーズのギタリスト・ショウ。それに連れられて来たドラムのヒロ。そして、面白そうだと、昨晩のストリートからそのまま一緒にいる、ラストレーションというバンドの女性ベーシスト・エリ。  バンドが組める人材はいるが、あくまで見学だけだと彼らは言う。特に、同じギタリストのショウに至っては、清音の家に入るなり、目を輝かせた。  壁に掛けてある。ギターはなにやら凄いものだったらしく、触ろうとした瞬間に清音に怒られていた。 「せっかちやな。お前絶対モテへんやろ」 「そんな事ないっすよ! 彼女の一人や二人……」 「彼女二人もいらないって」  姫の一刀両断により、ショウの抵抗はあえなく終了。すいませんと呟き腰を下ろすショウにギターが掛けられた。 「別に弾いてあかんちゅことやないねん。いきなり触ろうとするのが良くないねん。人の彼女にいきなり手ぇ出すようなもんやで」  その彼女(ギター)が壁に三本もあるけど……と、ルナは横目で見つつ。 「早く録ろうよ。せっかく昨日調子良かったからそのまま忘れないうちに詰め込みたい」 「せっかちやな。ヴォーカルは最後や。まずドラム、ベース。ほんでギター。オケが完成したらそれ聴きながらヴォーカルや。一日で六曲終わらせるで」  現在、正午を過ぎたあたりだ。ルナの帰宅時間の二十二時という法律は昨日も無視され、朝にいったん帰宅してまた集合というろくに寝れもしないスケジュールだった。  清音がドラムを収録しているのを見て、ドラマーのヒロは驚きを隠せなかった。 「キヨさんてドラムも出来るんすね」 「ベースもピアノも出来るで。ライブ中に流してたオケも全部俺が録ったやつや」 「ドラマーとか入れないんすか?」  人が増えたら面倒だ。という理由で入れないというのは、ルナにも内緒のところだ。LEOのメンバーのように、モチベーションの違いがバンド内に亀裂を生むというのは良くある話だったし、現に、清音もそれで解散した経験がある。 「えぇヤツいたらいつかな……」 「オレ、叩いてみて良いっすか?」 「自分で見学だけ言うたやん! まぁえぇけど」  性分なのか、それとも、清音よりも本職である自分の方が上手いと見せたいのか、ヒロはいそいそと自分のスティックをケースから取り出し、ドラムセットに座る。  さすがに鳴りが良い。LEOのドラムよりも、LOSTのドラムよりも軽快なビートを刻むドラミングに、ルナの身体は揺れた。  まるで殴りつけているかのような、凶暴なドラミングに変化して行く。弾丸の如き高速のブラストビートには、ルナが目を丸くする。  なにそれカッコいい!!  触発されて、勝手にベースアンプに繋いで鳴らし始めたエリもまた、そのドラムの轟音に負けじとへヴィネスにアレンジを加えて行く。長い金髪を振り乱し、自分の曲のように弾き倒す姿に、ルナは嬉しそうに顔をほころばせた。  いつの間にか、重厚なハードコアナンバーに変わっている曲を聴きながら、清音もアコギを置いた。 「勝手なもんやなぁ……」 「昨日のライヴで最後にやったやつ、あれ姫のキレっぷりも考えたらこれくらい攻撃的な方がカッコいいかと思って。なんて曲っすか?」 「KEEP MYSELFや。うちの代表曲やな」  清音がギターを持つ。エフェクターで音を調整しつつ、二人に負けない強靭で歪んだ音(ディストーション)を掛ける。  昨日は二人だけでストリートライヴをやったが、今日は違う。 「楽しそう!」  ルナもマイクを持ち、左腕を挙げる。 「ワン・トゥ・スリ・ゴ!」  初めてとは思えない息のあった感覚。そして、生のドラムの音は気持ちが良い。身体が軽くなって、声も伸びる。ステップを踏み、ルナはコードに足を引っかけてすっころんだ。笑いが起きるメンバーの演奏に合わせて、寝っ転がったまま天井に向かって歌った。  その何メートルか先に地上があって、人が歩いている。地下ではこんな楽しい事が繰り広げられているとは知らずに。  清音がコーラス用のマイクで笑って言った。 「チビ! パンツ見えてんで」 「興味無いんじゃなかった?」 「汚いから見せんなっちゅうねん」 「みんなの方が汚いじゃん!」 「待って! 私も一回帰ってるから! 汚いのは野郎サイドだけだから。つーか、姫の歌声可愛い」 「可愛くないよぉぉおおお!!」  大絶叫(シャウト)!!  昨日帰っていない=風呂にも入ってない。ライヴで汗かいたのに。と、マイクを使って罵り合って、練習は終了。 「せっかくやからみんなで録ってくれへん? クレジットはするから宣伝にもなるやろ」  その提案に、ショウが勢いよく挙手する。 「俺もギターで参加して良いんですか!?」 「アホか。ギターはこの天才がいるやん。ショウは……コーラスでも入れとけ」 「俺ギタリストなんすけど……」 「奇遇やな。俺もギタリストやねん」 「キヨさ~ん、ワンフレーズだけでも入れさせてくださいよ。ちょっとだけ!」 「余計要らんわ!」 「ちょっとだけ……姫も一緒にお願いしてくださいよ!」  なんでアタシ? と思いながら、ミルクティーを啜ってモバイルを弄る。歌詞の確認には余念がない。 「ちょっと! 姫!?」 「しゃあないな。じゃあ弦一本につき参加料一万な。一曲弾いてもえぇで」 「六万すか……」 「いや、俺の秘蔵の十二弦貸してもえぇよ。弾いてみたいやろ? 十二弦」  なかなか目にする機会は無い。以前、ショウが好きなバンドのギタリストが、一曲の為にわざわざ十二弦ギターを使用したという話を聞いた事があって、興味はあった。自分と同じくらいの年なのに、随分と売れていたギタリストには悔しさもあったが、やはり凄いと思うプレイが多かった。  その興味に負け、上のコンビニに金を卸しに走り出しそうになったショウをひとしきり笑った後で、無料で一曲だけの参加が許可された。  『今日中に終わらせる』と始まったレコーディングは、二十四時を過ぎても終わらなかった。 「今日おわんなかったねぇ……」  ルナが呟くと、清音はギターを爪弾きながら、 「一日ってな、寝るまでが一日やねん。まだ今日は終わらんで」 「ねむい……」  ミドルテンポの曲が上手く決まらない。だんだん声も出なくなるからもう寝たい。あくびをしながら、思い思いに楽器を弾きながら音を探るメンバーを見てルナは言う。 「みんなでさぁ、組まない?」 「皆バンドあるし、そんなん無理や。特に、ツインギターとかいらん」 「だぁって、ドラムとかいたほぅが楽しいじゃん」  眠たそうなとろんと微睡みの中にいる甘い声に、清音が『今日』の終わりを感じた。 「楽しいけどな……そういうわけにもいかへん。でも、ラスト一回やろうや。もうそれで今日は終わりやな」  狙い通りの結果が出れば。と、ルナの半分眠りについているような、無防備な甘ったるい声に期待を込めた。  そんな状態でも、曲が流れれば歌詞は頭の中に浮かぶ前に口から出て来る。自分の言葉を並べる事に考える必要は無かった。舌ったらずで後乗りになる、平時では絶対に出来ないであろう歌は、人間ならではの誤算だった。  ライヴじゃ再現でけへんな、これは。  通常、『タン』と鳴る一拍の中で、ルナは『タ』で声を乗せる。だから姿勢同様に曲のノリが前ノリになって勢いが増して早く聴こえる。眠たい今は『ン』で歌っている為、後乗りになる。  意識しているわけではないからこそ、この後乗りになるべき曲が今まで上手く決まらなかった。  歌い終わると、椅子に座り、テーブルに突っ伏して寝息を立てた。 「相当疲れてるみたいですね」 「昨日もライヴ終わって夜中まで騒いどったしな」  騒がせたのは誰だ? と、全員が無言で清音を見る。  録った曲を聴いてみると、全員閉口した。 「良いんですけど……」 「良いっすよ。確かに」 「うん……でもさぁ……」  あくまで、三人は部外者であり、ジャッジを下すのは清音だ。視線が集まる中、 「なんか言いたそうやな」  口籠る三人に言うと、ショウが立ち上がる。 「なんていうか……背筋がこそばゆいというか……エロいっす」  二人も頷く。わからなくはないが、この口半開きで寝ている女がそんな歌を歌っているというのが清音には信じたくなかった。  本人が起きたら聴かせたいと思いながら、このまま収録は決定し、大人四人は買っておいた缶ビールを開けた。寝ているヴォーカリストに気を使い、打ち上げは静かに行われた。  ルナのバイトと声の回復を待ち、CDの販売も兼ねたストリートライヴは一週間後だった。  清音ファミリーとなったレコーディングメンバーも引き連れ、新宿駅に降り立った。ヒロは得意げにスネアを持って来ていた。 「これで参加出来ますよ」 「ズルい! 私もベース持って来れば良かった」  と、ベースのエリは残念そうに口を尖らすと、それもそうやなぁと、清音はショウを見る。 「向こうに中古の楽器屋あるやろ? 清音の使いで来た言うたら貸してくれるからちょっとウッドベース借りて来い」 「あんた何モンなんすか!?」 「なんでもえぇやろ。はよ行け。みんなセッティングあんねん」 「でも警察来たらすぐ逃げなきゃいけないじゃん」 「まぁ、そん時はそん時でなんとかなるやろ」 「許可取って無いんすか? ここ、ある程度の音量なら許可取れますよ」 「なんでタダで出来るところに金出さなあかんねん」  エセ関西人はがめつさもマネしてんのかと、ルナは溜息。  準備をしている間、アルタの街頭ビジョンにはオールVHによる映画の宣伝が流れていた。続いて、GUILTYではない、別なVHによるバンド、アイドルグループにソロシンガーと続く。 「なんやえらい増えてんなぁ」 「まぁ、使う側からしたら便利ですよね」 「でもVHの映画って言っても、普通に昔からあるCGの映画じゃんね」  クオリティこそ違うが、VHはデバイスを通じて目の前に現れる事にその技術の高さが認められているわけであり、エリが言う通り、フルCGの映画は昔からある。だが、株式会社ネストの制作した映画は違う。脚本も音楽制作も、何もかもが人工知能によるものだ。画面を見ていない面々には、VHの神髄たるものを知る由は無かった。  告知時刻の直前に、一人、走って来る女の子がいた。手にはパペットが嵌められていて、一目でわかった。学校が終わってすぐに来たらしく、制服だった。 「ルナちゃん!」  パペットを突き出して話してくる彼女の姿に、初見の三人は驚いていた。 「こないだのライヴ話せなくてごめん」 「ううん。号泣して顔が酷かったから会えなかったって莉愛ちゃんが言ってる」  あぁ、そういう設定なんだ……と、一同が理解。学校で浮いてるだろうなぁという、大人の優しい目も気にせず、莉亞のパペットは話を続ける。 「今日はいっぱいいるけど、バンド組んだの? って莉愛ちゃんが」 「そういうわけじゃないけどさ。みんなで音源作ったりして、そのまま仲良くなった感じで。莉亞にもCDあげるよ」 「売れや! それ販売用や。売りモンやで」 「エセ関西人はがめついとこまでマネしてんの?」 「それ完全に関西人ディスってるやん。学生やろ? まけて五百円でえぇよ」  毎回来てくれている客への、清音なりの良心。しかし、莉亞は首を傾げる。 「CDって何で聴くの?」  ほとんどデバイスでダウンロードするか、ストリーミングで聴くのが主流になった音楽に、わざわざCDで聴くという選択肢は無い。音楽好きな大人ならまだしも、それが十代の学生となればなおさらだ。  ルナは鞄から、古いCDプレイヤーを取り出し、莉亞に渡した。 「あげる。もう何年も前に貰った物だけどまだ使えるよ。アタシはもう使わなくなったから」  魅由と初めて出会った時に、CDと一緒に貰った物。もう、魅由のCDは聴かなくなっていた。ただの思い出の品であり、もう、その思い出に浸る事も無くなった。必要は無かった。前に進む為だけに今は生きている。  莉亞は嬉しさのあまり、財布を取り出すと、 「CD,三枚ください! って莉愛ちゃんが」 「なんでそんなに?」 「聴く用と、保存用と、壊れた時用に保管する為です」 「もっと良い事にお金使いなよ。学生なんだしさ」  と、とっくに学生を終えたかのように言うルナに、エリは首を傾げながら、 「姫って今何歳?」 「え? 十七」 「自分だって学生じゃん!」 「行ってないから学生じゃないし!」 「姫は自主卒業ですか?」 「そう、それ。おかげで今があるからそれで良かったよ」 「おい、学生に悪影響与えんのやめぇや」  真似して辞めると言いかねない。  雑談している間に、足を止める人もいる。  ひときわ背の高い清音に、金髪の女ベーシストのエリ。黒い長髪に全身黒いモードスタイルのヒロ。それを従える拡声器を持った。小さなロリータファッションのルナ。それぞれが路上で楽器を構えると妙な集団だった。  スネアのみでも様々な音でリズムを刻むヒロに、ルナは振り返り、 「そういうタカタカした感じの、幼稚園の時にマーチングで聴いた!」 「幼稚園児には負けないっすよ」 「当然じゃん。ハデにやってね」  下手には、到着したばかりのウッドベースを構えるエリが、初めて弾く楽器に戸惑っている。 「こないだ録音した時みたいに頭振って暴れちゃって、エリさん」 「これ私初めて弾くんだけど……出来るかな……」  そして、上手の清音を見る。 「勝手にギターちゃんとイチャイチャしといて」 「言われんでもそうするわ」  そして、清音はギターにキス。ルナは左腕の傷にキスをした。  さて、行こっかな。  悪戯猫の笑みを浮かべたルナは、息を吸い、拡声器を構える。 「ご通行中のみなさん、こんにちは! KEEP MYSELFです!!  ちょっと演奏(ノイズ)を失礼します。勝手に盛り上がるので勝手に楽しんでってください!」  楽器の音が重なる。ギタリストとして参加したかったであろうショウは拍手して歓声を上げた。 「ワン・トゥ・スリー・ゴー」  かっ飛ばすと思わせておいて、今日はミドルテンポの曲からスタートした。  微睡の中、無意識で歌い、目が覚めたら完成していた曲は、歌った本人のルナですらこそばゆくなるものだった。こんな風に歌えるんだと、面白かった。ただ、ショウがあまりにもエロいと連呼するものだからなんとなく一発ビンタした。今日のスタートはそんな曲からだった。  中指を立て、咥え、挑発するように目を細める。その目が睨みつけたのは、振り返った先のアルタビジョンに映るVHの宣伝だった。そのまま、中指は向けられた。  この社会への宣戦布告。  ギターだけではなくなった今の楽曲は、ルナの攻撃性も後押しする。  一転して、二曲目になるとクラップを扇動し、楽し気にステップを踏む。スカートがふわりひらりと舞って、動きを一層大きく見せる。  足を止める人が増える。そこの人、信号待ちの合間の暇潰しにどうぞ? 目が合った男にルナは首を傾げて手を招く。まんまとつられて輪に入る。  そろそろ警察来そうだなぁ……。  いつも見回りに来る方に目を向けて背伸びしても、もう人垣のせいでルナの身長では見えなかった。  清音に目を向けると、まだ何も気にする事なく、大好きなギターと演奏(SEX)を楽しんでいる。  ベースも初めてという割には躊躇無く弾くし、髪を振り乱し、リズムを取りながら魅せる演奏をする。  ドラムだって、ちゃんとフルセットならもっと楽しかったのに。  このメンバーでステージに上がれないかなぁと、ルナは願い始めていた。  持ち曲の六曲をやっても、まだ警察は来ない。清音と顔を見合わせながら、たまたまなのかと首を捻る。人もそれなりに集まっているのに。 「せっかくやし、良かったらCD買ってってやー!」  雑な営業でも、三人ほどCDを買ってくれた事に、ルナは驚きを隠せなかった。 「頑張って!」 「ぅあ、ありがとう」  千円のCDを三人。三千円を手にしたルナは、笑みが止まらなかった。 「小学生かっちゅうねん。それっぽちの金でニヤニヤしやがって 「金額じゃなくてさ、もっと聴きたいって人がいたって事が嬉しくて。アタシの声……良いってことだよね?」  元々は、自分の声が嫌いで話す事すら拒否していた。それを知っている清音は、ニヤリと、 「いや、俺のギターが聴きたかったんやろ」 「……それもあるかもしれないけどさ」 「ルナちゃんの歌が聴きたいんだと思います!!」  パペットを高々と突き上げ、莉亞が断言する。知っとるわ、ボケ。と、清音は苦笑い。何か執念というか、もはや怨念めいたルナへの憧れが垣間見られ、反論すると面倒な事になりそうだと思った。 「莉亞って何才?」 「莉亞ちゃんは今年十六になったよ」  一コしか変わらないのにそんなに慕わなくても良いのに。不思議だった。ただちょっと運が良くて、こうしてギターバカと知りあえて歌う事になっただけなのに。  ちょっと前までは自分もステージを見ている側だったのに。 「大したモンじゃないよ、アタシは。凄いのは清音でさ」 「でも、ルナちゃんが歌うって決めたからこうして出会えてる。私にはそんな風に大勢の前に立って歌うなんて出来ない……だからルナちゃんは凄い……って莉愛ちゃんが言ってる」  なんで片言なんだろう。このパペットがそうなのかと、ルナは笑った。 「ありがとね。良かったよ。そう言ってくれる人がいて」  モバイルが着信を告げる。ヒロとショウの物だった。少し離れて話しているその表情は次第に険しくなって行った。 「どないしたん?」 「すいません、キヨさん。メンバーから呼ばれたんでちょっと今日は失礼します」  ショウも同様だった。苛立っているのが顔に出ていた。 「また一緒にやろうね。ありがと」 「いえいえ、こっちこそ、楽しかったです。姫とキヨさんと一緒にやれて」 「私は?」 「いやぁ……もう、サイコーだった。エリちゃんのベースといつまでも合わせてたいくらい」 「それ絶対嘘じゃん!」  共に、KEEP MYSELFの屋台骨と言えるリズム隊の二人は笑って連絡先を交換していた。 「今度は俺も一緒にやらせてください!」  そう言い残して、二人は足早に去って行った。エリも今日はもう帰るとのことで、不穏な空気を残してストリートライヴは終演を迎えた。  [4]
     ルナのバイトがあり、更に翌日。もうすっかり日常となった、清音の家を訪れると、そこには既に見慣れた二人の姿があった。  ショウとエリだ。共に沈んだ顔が、部屋に重い空気を蔓延させていた。 「なんかあったの?」 「姫……これ観てよ」  モバイルで再生された動画は知らないバンドの映像だった。演奏しているのは薄っすらと、聞いた事のある曲だった。 「なにこれ?」 「VHだよ。ラストレーションもパブリックエネミーズもパクられた。うちはまた別なバンドだったけど」  ショウが無愛想に付け加える。怒りが収まらないと、同じバンドのヒロは来なかったらしい。 「それでなんでうちに来んねん」 「メンバーの繋がりで聞いたら、あの日他のバンドもパクられたって。あの日出たバンドだけじゃない! 俺らみたいなアマチュアバンドほとんどだ」 「多分、ネットにアップしたのを拾ってんだろうけど……なんなのこれ……」  清音はただただ自分のノートパソコンでVHのバンドが演奏する動画を観ていた。以前の完璧で耳障りの良い音だけではない。しっかりとセオリー通りではない、不協和音すれすれの演奏──ミスさえも再現してみせている。  甘く見ていたと気付き、自分達のサイトを開いた。ネットにアップしているから曲を真似されるのなら、消せば良い……が、それでは宣伝出来ない。名の知れたバンドならいざ知らず、駆け出しのバンドには全国に名を広める方法はネットが大きなウエイトを占める。 「芽を潰そうってわけか……。新人がいくらパクられた言うても、先に曲を広めたのはVHや。宣伝力もちゃうしな」  サイトを閉じる。ここで曲を削除するのは逃げた気がしてならないし、どうせいつかはアップロードしなければいけない。 「キヨさん達はなんでパクられてないんですかね?」 「簡単や。パクれへんかったんやろ。実力の差や」 「そうだと良いんですけど……」 「わかったらはよ帰ってメンバーと対策練ったらえぇやん。ここで俺と話してもしゃあないやろ。被害者の会は終わりや」  半ば強引に、ショウとエリを帰すと、清音はVHの映像に目を戻した。ルナも隣に座ってその映像を観る。何も知らなければそのバンドの曲に思える。まだ駆け出しのバンドについている数少ないファンと、ライヴ当日に聞いた人達しか知る人はいない。 「やり口がセコイな……」 「なんでわざわざちっちゃいバンド狙ってんだろ」 「VHの曲を増やして一気に出して行きたいんやろ。現に、もうVHのグループってバンドだけやなく、アイドルとかも合わせたら100近いで」 「なんでアタシらは無事だったの?」 「他よりもネットにアップすんのが遅かったからやろ」  こうしている間にも、他のバンドの楽曲が奪われているのかもしれない。映画の脚本だってもしかしたら、誰かがネットのサイトで挙げている小説だったりするのかもしれない。  清音のギターを爪弾く手がいつもよりも鈍い。スロウな曲を演奏しているわけではなく、ただ、癖で弾いているだけで。そうしていないと不安で仕方なかった。 「考えてもしょうがないじゃん。アタシらはアタシらの出来ることをやんないと」 「何が出来んねん」  投げやりな口調は、もう諦めているようにしか思えなかった。いつも自信満々でギターを弾く男の姿はそこには無かった。 「曲のストックはいっぱいあるんでしょ? だったら、真似出来ないくらい作ればいいよ。アタシは歌詞も書くしメロも考えて覚えるから」  なんでもいいから清音が立ち上がってくれない事には、KEEP MYSELFは動かない。動けない。ルナが一人で戦おうにも、掻き鳴らされるギターが無ければ歌えない。 「お前が創って覚えるのに最低でも一日かかるとするわ。それを世に出した瞬間に持ってかれんで」 「ネットにアップしなくても……ライヴとかストリートでさ」 「全国回る気か? そんな金も無い。そもそも、その金を得る為ににネットで宣伝して名前広げなあかんねん。その方法すら絶たれるっちゅうのに」 「でも、アタシらはまだ行けるじゃん。何ビビってんの? 盗られてもどんどん創れば良いじゃん」  このヴォーカルは引く気が無いと、清音は見た。そういえば、随分とGUILTYにも敵対心を燃やしていた事も気にかかった。 「モカん時も隠してたな。何か知ってんのか? VHの事」 「……言っても信じないよ」 「言われな何も信じられへんやろ」  どうせ信じられない。自分だって、実際に日出陽と関わらなければ、全身代替品(フルオルタネイティブ)などという、超法規的存在を信じられない。  渋々、ルナは事の顛末の全てを話した。米国との共同開発による、人工知能を搭載した全身代替品の事。都心の地下で実験と称した銃の撃ち合いが起きていた事も。高校生ばかりが召集されては死んでいった事も。今もまだ、陽は戦い続けているかもしれない事を。その陽がもしどこかで生きていたらと、声を届ける為に歌っている事も。  話すほどに涙が零れた。悔しくて仕方が無かった。やっと掴んだ手段さえも、奪われかけている。  清音には、にわかに信じがたかった。国を挙げて開発している人工知能が、ただのエンターテイメントに使われている。それだけのはずが無い。そう思いたかった。 「人工知能に……全身代替品(フルオルタネイティブ)……か」  結論は一つしか無かった。そこに辿り着きたくはなかった。だが、ルナは既にその未来を見ていた。  このまま、人工知能を搭載した全身代替品の時代がやって来る。人間を淘汰しようとでもいうのかはわからないが。 「お前はそれでもやんのか?」 「他に選択肢があんの? 清音はなんで音楽を始めたの? ここでやめて良いの!?」 「辞めたくはない。けどな、俺らがこのままやって行くにはバックが必要や。けど、VHは国が絡んでんねんやろ? どこの事務所も相手にしてくれへんよ」  それは、ルナも予想が出来ている。  VHのデバイスは『MRD』と称し、仮想世界と現実世界を交差させるものだと言っていたし、世間にもそう説明されている。  陽も、その母親も、何食わぬ顔で世間に混じっている事を考えると、次はVHを現実世界に持ってくる事だろう。散々デバイスを通して観て来た彼女らの姿が、今度はデバイス無しでも見られる。  便利になるようでいて、しっかりと人工知能が世に根付くという事だ。その象徴が華桜凛音という少女なのだろう。 「人間を排除しようって事か?」 「わかんない……けど、アタシにはあの日のライヴの客が全部全身代替品に見えて……」 「ほんでブチ切れたんか」 「まぁ……うん」  笑うと、清音は煙草に火を点けた。先行きの無い現状を憂う溜息を、煙とないまぜにしたようにも見えた。 「そういえばさ、こないだ楽器屋で借りられたけど、清音ってそんなに売れてたの?」 「あれに関しては売れてたとかそういうわけやないで。顔馴染やねん。店長と。もう十年ちょいの付き合いやな。初めて一緒にやったバンドのメンバーや」  懐かしむように、清音は思い出話を始めた。  中学二年生当時、田舎に住んでいた清音は、ギターを始めた。  家は隣まで数メートルもあるような、そんなレベルの田舎で、音が窓から流れようとも特に怒られはしなかった。  ある日、三件隣からドラムの音が聞こえて来た。それも、自分がギターを弾いている時に。三日後には、ドラムの向かいの家からベースが聞こえて来た。毎日、夜の十時にドラムのカウントに合わせセッションを始める。そんな日が続いた。 「どういう曲かもわからないのに出来るの?」 「そこはドラムのテンポやら、そん時のリズムを聴きながら合わせんねん。今でも得意や。だから適当に弾いたベースにもピアノにも合わせられたんや」  そんな日々がひと月も続いた頃、突然ドラムの音が聴こえなくなった。次の日、清音はギターを構えながらセッションを待っていると、玄関のチャイムが鳴った。  降りて行くと、おじさんと二十代の男が立っていた。  話を聞くと、おじさんの方がドラム。若い方はベーシストらしい。おじさんが苦笑いを浮かべて、親に怒られたからもう家でドラムは出来なくなったと告げた。でも、楽しかった。だから正式にバンドを組んでもっと一緒にやりたいとも告げた。  中学生だったことに驚きはしていたが、お互いに楽器の腕は知れている。年齢層もバラバラの三人が、音楽の前では平等だった。社会人で係長をやっているおじさんも、自営業を手伝っている青年も、中学生の少年も、音楽の前ではただ楽しむ事が出来た。 「それでヴォーカルは?」 「三人ちゅうか、俺とベースが歌って、ドラムがコーラスって感じやな。ベースの兄ちゃんは結婚して婿養子になるっちゅうことでいなくなって、ドラムのおっちゃんも上京してそれっきりやったんやけど……楽器屋で働いててん。たまたま知りあってそれからたまに飲んだりしてる」  だからって楽器を貸してくれるものなのかは、納得いかないがそういう関係なのだろうと、ルナはそれで良しとした。  それから雑談をしても、練習をしても解決策は見つからなかった。これから先のバンド活動について、もうあえて二人とも話題にはしないまま、ひたすらに練習していた。  弾き続ける事で、歌い続ける事で、この現状に抗えるような気がして。  無音になると何も変えられないような気がして。  このまま負けてしまうような気がして。  それでも、仕方なく、次の日のバイトの為にルナは帰宅した。  声はまだ出る。家でも叫びたくなったが、壁の薄いマンションでは堪えるしかなかった。  [5]
 心配で……というよりは、自分の鬱憤を晴らしたいが為に、ルナは翌日もバイトが終わって夜の六時というのに清音の家に向かっていた。遅くなったら送らせれば良い。ストリートでもなんでもやってやる。  戦闘態勢に入るべく、渋谷駅前の街頭ビジョンで相変わらず流れるVHの宣伝を睨みつけた。 「あれ? 須山ちゃん?」  不意に呼ばれた声に、ルナは振り返る。名字で呼ばれる事はバイト以外では久々だ。 「アネゴ……」  学校外で初めて見た保健医の姿に、逃げようかと一瞬足を引いた。しかし、もう学校に行くことは無いし、今のこの現状に後ろめたい事は何一つ無かった。だから踏みとどまれた。 「今何してんの? 急に学校に来なくなってさー」 「今は色々あって歌ってます」 「歌? ……ウタ?」  歌ってなんだっけ? そう思わずにはいられないほど、学校での生活からは想像がつかなかった。 「歌ってどういうこと?」 「バンド組んでるんです。声が嫌いで話さなかったりもしてたんですけど、どうしてもやるしかなくなって。でもやってみたらなんかもうどうでもいいやってなっちゃって。で、実際歌ってみたら意外と好評で……あ、全然それで稼いでるとかじゃないんですけど」  見知った顔に妙な懐かしさを覚え、予想外に口が軽い。ルナのそんな様子を驚いて見るしか出来なかった保健医は、やはり先生だった。日出陽の失踪以降、影を潜めていた笑顔が見られただけで嬉しくなれた。 「今度私も観に行こうかな。ジャンルは?」 「あ~……なんだろ。パンクがやりたかったんですけど、ギターの人が、ジャンルとかいう枠の中じゃ本当のパンクじゃないとか言う人で」 「パンクかぁ。懐かしい! 昔、妹もやってたんだよ。売れなかったけど」 「売れなくてもカッコいいバンドはいますよ。なんていうバンドですか?」 「LOSTっていうんだけど、知ってる?」  その名前に、時が止まったように、渋谷の喧騒さえも全てが一瞬にして消えた。昔やっていたというのなら、今のLOSTのヴォーカルではない。つまり、一人しかいない。 「……妹さん、残念でしたね」 「まぁ、ヘッタクソだったからね。売れないとは思ってたけど」  よく知ってます。 「そうじゃなくて──」 「今から会うんだけど、用事無いなら須山ちゃんも来る? 夕飯だけでもさ。奢るよ?」  今なんて言った? 変態ギタリストのうるさいギター聴きすぎて耳がおかしくなった? 今から会う? 「会うって……魅由さんと?」 「そうそう。名前知ってんだ? そっち界隈じゃ有名だったりすんの?」  何を言ってる? 何が起きた?   フラッシュバック──酔って路上で喧嘩しているLOSTのギタリストとベーシスト/仲裁に入る酔った魅由/車道に突き飛ばされる魅由/死を悟って微笑む魅由/照らすのはステージのスポットライトではなく、車のヘッドライト/その笑顔が苦悶に歪む間もなく、腹部を車に潰される/(ドロリ)臓 器(グチャグチャ)赤黒い(ドロドロ)/完全な死。  手が震えた。なんとか動揺を隠そうと、拳を握る。力が入らない。 「須山ちゃん? 大丈夫?」 「大丈夫で──」 「バカ姉貴、なにしてんだよ?」  背中が凍り付くようだった。聞き覚えのある声/二度と聞けないと思っていた声/聞きたかった声──死者の声。  振り返ると、当時のパンクス丸出しの恰好とは違うが、明らかに魅由だった。 「どうして……死んだのかと……生きてたんですか? あの事故で助からないと思ってたのに」 「どうして? お前が思ってるより世の中黒いって事だ。日出陽にも言ったけどな」  ゴクリと、動揺の塊(ツバ)を飲み込んだ。  一瞬で理解が出来た。  保健医・美沙は言っていた。身内に地下戦争の関係者がいると。  魅由は昔言っていた。あたしに身内は姉だけだと。  目の前の女が、いつかの亡霊が陽を創り、壊し、社会を壊そうとしている敵の中の一人だ。 「陽はどこですか?」 「目の色変えんなよ。男の事になったらすぐそれかよ。怖いねぇ」 「答えてください!」 「あたしは忠告したんだ。ルナの為に戦うってあいつを。そのルナの為に戻れって。真実を知れば戻れなくなるからな。大人の言う事は聞くもんだって学校で習わなかったのかねぇ。あ~、そんなプログラムされてねぇのはこっちの落ち度か。そいつぁ悪かった」  火に油を注ぐように、魅由は感情をむき出しにするルナが面白がった。  ──あたしに笑うだけだったお前も、そんな顔出来るようになったんだな。 「魅由! やめなって。須山ちゃんバンドで歌ってるんだって。話聞いてあげたら?」 「アハハハハハッ! お前が!? ろくに話も出来ないくせに歌ってる? 冗談も言えるようになったんだな。あぁ、あたしは嬉しいよ。そんなに成長してさぁ」  怒りが収まらない。手が震える。さっきの震えとは違う。自分を馬鹿にされているのはまだいい。憧れていた人が変わり果てていた事が悲しかったし、こんな人に親友(モカ)は憧れていた。自分だって、憧れていた。魅由さんならどう歌うか。そんな風に考えていた時だってあった。このライダースジャケットだって。この重さだって、魅由が背負っていた重さだと我慢していた。  「いつから代替品手術済(オルタネイター)だったんですか?」 「あの事故からさ。身分も無いあたしはこの社会に存在していないのと同じ……良い実験材料だったんだろうよ。もし失敗しても死んだ事にはならない。死にかけてる女の身体弄くり回して楽しかっただろうよ。いつだって、無抵抗な女はされるがままだ。どうせなんでも突っ込み放題の身体だけどな。どっちも」  魅由の醸し出す殺意はまだ衰えていない。それどころか、当時のルナがよく見ていた、社会を憎んでいた当時の眼は強さを増している。 「それなのにそっち側に付くんですか」 「賢く生きようってだけさ。色々と便利だぜ? 無戸籍の身が、今じゃ国家機関で働くエリートだからなぁ」 「そんなの求めてなかったじゃないですか」 「それはお前のあたしに対する理想像だ。そうあって欲しいってだけのな。なんだかんだ言ったって美味しい蜜を吸っちまえばおしまいだ。なんなら口利きしてやろうか? これも何かの縁だし」  違う。確かに、あの頃は社会を憎んでいた。エリートになりたいなんて思っていなかった。売れないバンドマンの生活を満喫していたのに。  どんどん思い出が壊れていく。当時の腹の中ではこんな生き方を望んでいたのだろうかと。言葉を失うルナに、煙草の煙を吐きながら魅由は言った。最もこの人から聞きたくなかった言葉だった。 「いいかげん大人になれよ、ルナ」 「ガキのままで良いって……そう言ってたじゃないですか! なのに……」  涙は堪えた。立ってるのも辛いくらいにクラクラして来る。理解出来ない事ばかりを一気に叩きつけられている気分だった。確かに、会いたいとは願っていた。初めて好きになった男子の陽を紹介したいとも思っていた。それが叶わないとわかっていたのに、知らない所で叶ってしまっていた。  大人ってのは汚いもんだ。あたしは絶対そうはなんねぇ。だからルナも自分を守れ。譲るな。曲げるな。ガキのままで良い。  大人は偉そうに大人になれって言う。クソくらえってんだ。そんなクソッタレがいたら中指立ててやれ。そう強く生きろと教えてくれていた。 「んな青臭ぇ事ばっかじゃ生きていけねぇ世の中だから、この世界から夢は消えたんだ。お前の夢も消えるさ」 「VH……」  正解だと言うように、魅由は眉を上げる。 「行こうぜ、バカ姉貴。ガキに構ってるのも時間の無駄だ」  「VH(あんたら)なんかには負けない……」 「あぁ? ライダース(あたしのモン)着て粋がるなよ。何着たってあたしにはなれねぇよ、お前はただのクソガキのままだ」  悔しさを滲ませるルナを一笑に伏すと、魅由は歩き出した。  もう二度と、会えないだろうと思っていたのは魅由も同じだった。ほんの一瞬、喜んでしまった事が、魅由には悔しかった。 「魅由?」  喧騒の中を突き抜けた声に驚き振り返ると、ルナにあげたライダースが飛んで来た。  ──良い眼してんなぁ。 「なんのつもりだ?」  睨みつけ、中指を立て、かつてはか細い声で話すだけだった少女の叫びを、魅由は刻み付けた。 「アタシは絶対負けない? クソガキのままで良い。地下でもなんでも好きに生きてたら良い……いつか……どこにいたってアタシの声が届くから?」  ──あぁ。楽しみにしてるよ。 「……ついでに一つ教えてやるよ。日出陽は生きてる」 「え? どこに……」 「地下五千メートルの実験施設。出口の有楽町も横須賀の米軍基地も封鎖されてる。腹は減るが餓死はしねぇ。あいつは一生苦しむだろうぜ。有りもしねぇ出口を捜しながら大人(あたし)の言う事聞いとけば良かった後悔しながら生きて行くんだろうよ。こいつは本当だ」  それが、完全な全身代替品であるメリットとデメリット。  『死』が無いという身体の代償。どれだけの絶望の中を生きなければいけないのかと、想像がつかない。言葉が出てこなかった。どうして、この女は楽しそうに笑って言うのだろうと。 「もう一つ。バンドやってんなら大人(あたし)からの忠告だ。お前らは社会に殺される。さっさと学校行って普通に働け。もう夢を見る世界は終わった」 「……夢なんかで終わらせない」 「大人は嘘つきだ。てめぇの為にならいくらでも嘘を重ねて行く。そんな生き物だ。食われねぇようにせいぜい気を付けな。ま、忠告はしたんだ。大人の言う事は聞くもんだぜ」  泣きそうな感情を必死に堪えるルナに背を向け、今度こそ魅由は歩き出し、呟いた。 「頑張れクソガキ」 「別に嫌われるような事しなくても良かったと思うんだけど……」  姉の美沙はきっと悲しんでいるであろう魅由の顔を覗き込んだ。予想に反して、その顔はどこか寂し気でありながらも、晴れた表情をしていた。 「大人は悪役って相場が決まってんだよ」 「よくわかんないな。どういう関係だったの?」 「さぁ……なんだろうなぁ」  友達とは言えない。言ってやりたくはない。慕ってくれていたのはわかっている。自分が『須山ルナ』の人生の汚点であると、魅由は卑下していた。関わらなければ、もっとまともな人生だったかもしれない。バンドなんて見せてしまったから悪かったのかもしれなかった。  妹みたいなもんか。と、魅由は遠き日に思いを馳せた。あの頃の小娘があたしに怒鳴り散らしてくるなんて。  なんでも真似したがっていた。煙草も酒も。何も真似はさせなかった。自分の声が嫌いだからと、バンドも歌も、それだけはやりたいと言い出さなかった少女。  その少女が、今、マイクを握ってステージに立っている。  観たいに決まってんだろ。  その少女が、社会に殺されようとしている。  守ってやることは出来ない。人は、最後は自分で身を守らなければいけない。ましてや、こんな自分にこれ以上関わる権利すら無い。 「あ~、そういや……あたしとお揃いなんて嫌だろうな」 「へ? お揃いって──!?」  左目の眼球に入った蝶のタトゥー。それを、ルナは左の脇腹に入れた。中学生の時だ。綺麗な身体でいて欲しいと思いながら、自分が考えたデザインを真似してくれるのは嬉しくもあり、 「お揃いですね!」  なんて言いながら、自分にだけ見せる満面の笑みでTシャツをめくり上げて腹を見せて来る。そんな当時の彼女がたまらなく愛おしかった。  もう、そのお揃いも必要無い。  魅由は、何の躊躇いも無く、左目に煙草を押し付けた。蝶の羽根が焼け焦げる。視界が一気に狭くなると同時に……痛みは無かった。 「あんた……ちょっと! 何やってんの!? 病院! どっか近くに……」  ──クッソ……これも代替品(ニセモン)かよ。タトゥーまで再現しやがって。  痛みが無いという事は、神経系の接続が上手く行っていないという事で、『失敗作』の烙印が押されているはずだ。  日出陽を始めとする最上級の人間(ヒューマネスト)ともなれば、全てが人造物で痛覚もあり、ますます人間との区別が難しくなる。  その実験に失敗した身だった。 「なぁ、考えてみろよ。自分が何者か。本当に自分なのか。もし、思っていた自分と違ってもそれを自分と受け入れられんのかな。それも自分自身と思って保とうと出来んのかな」  他には一体何が代替品になっているのか。自分の手足も顔も全てが造り物のような気がして来る。  ルナとの日々も、ヤツらに覗かれていたのかと思うと、吐き気がする。記憶(メモリー)記録(データ)に変える技術。それを代替品の脳に搭載。自分の脳は自分の物なのか。全く分からない。  そんな奴らの下で自分は働いて、生かされている。 「何があっても自分は自分でしょうよ」  美沙は、姉として、不遇な家庭環境を二人で行き抜いた仲間としてそう言った。魅由は魅由として、妹であったほしかった。  全身代替品(フルオルタネイティブ)などではなく。  うなじに刻まれたコードに気付いた時からずっと。わが妹ながら妙なタトゥーを入れたものだと自分に思いこませて。 「そうか……」  この造り物の身体も自分。それでもまだ一つだけ。確実に自分のものがある。  あたしの魂は死にやしねぇ。  ルナはひた走っていた。清音という唯一、この世界に立ち向かえる仲間の元に。  ライダースジャケットを脱ぎ去り、魅由という呪縛から解き放たれたようで、心は少しばかり軽くなれるはずだった。けれど、怒りや悲しみ、憎しみとありとあらゆる負の感情が渦巻いて、混沌としていてそれどころではない。ロングスリーブのTシャツ一枚で寒いはずだが、そんなものも感じない。  誰もが走る少女を避けた。俯く男はそれに気付かす、互いによけきれず人とぶつかった。派手にすっころんで膝を擦りむいた。 「いっつ……ごめんなさ……ショウ君!」 「姫……ごめん! 大丈夫ですか!?」 「うん。清音のところいたの?」 「はい。でも、今はキヨさんとこ行かない方が良いですよ」 「なんかあったの?」 「多分、姫も────────────」  聴き覚えのあるギターの音が、街頭の大型ビジョンから流れた。それがショウの声をかき消し、暗く沈んでいた顔を背けさせた。  音楽番組だった。MCを務める男はもう何年もこの番組の司会を務める男だと、いつだったかの駅までの道のりで清音に聞いた。  新しいVHの少女が、ギタリストとのユニットとして売り出されている。  一番好きな曲だった。一番思いを込めた曲だった。代表曲として、いつまでも演奏し、歌い続けて行くはずだった。 『新時代の音楽、VHの快進撃はまだまだ止みません! 次のユニットは超絶ギターテクと可愛らしいキュートな女の子がヴォーカルを務めるこのユニット』  ヴォーカルの女の子の、白いフリフリの衣装が似合っていた。自信満々なギタリストの醸し出す空気も、清音に負けず劣らずだった。 『そう……二人の名はLittle Love in!! そして、彼女たちのデビュー曲は……』  ずっと歌っていく気だったのではない。ずっと歌っていく気だ。これがルナの気持ちであり、心であり、生き方なのだから。 『KEEP MYSELF!! それではミュージックビデオをどうぞ!』  ギターの音も、歌詞も、そのままだった。ピッチやリズムのズレは無い。まるで、お前自身がバンドの欠点だと告げられているように。  自分自身のままで良い。このままで生きて行くと告げる歌を、プログラムされただけの存在であるVHが歌っていた。  そんな歌を聴きながら、息を呑んだ。言葉が出てこなかった。  社会に殺される。夢は消える。魅由の言葉が頭の中で繰り返していた。 「姫、大丈夫ですか?」 「うん。清音はもう知ってる?」 「はい。だからもう大変で……憑りつかれたみたいにギター弾き始めて……」  クラクラする頭で、至極冷静にルナは息を吐き、感情を殺した。  いつだってやって来た。寂しさも悲しさも怒りも、全部片付けられる魔法の言葉がある。 「どうでもいい。曲はまた創れば良い。清音にならもっと良い曲創れるし、アタシは……頑張るから」 「でも、なんかあって走ってたんじゃないんですか?」 「大丈夫。アタシらの問題だから気にしないで。プライベートエミリーズだっけ? ショウ君も頑張ってね」  パブリック・エネミーズです! という、ショウの声は出てこなかった。必死に、唇を噛み、その悔しさを噛み殺す少女にはそんな間違いなど些細な事だ。 「じゃ、じゃあまたそのうちセッションしましょうね! 今度は俺もギターで参加しますから!」 「うん。ありがと」  鈍い足取りで、ルナは歩き出した。まるで、このユニットの標的に選ばれたような気がしてならない。  階段を下りて、清音の部屋へのドアを開けると、珍しく、立ってアコギを掻き鳴らしていた。スラップだけではなく、複雑に様々なフレーズと演奏方法を組み合わせて、ただ難しいだけの音が続いていた。 「清音……」  振り返らなかった。ただ黙々と、自分(ギター)と向き合っていた。 「清音!」  もう音楽のジャンルはわからない。初めから、この二人には無かった。今出来上がっているであろう新曲は、ただの怒りの爆発に過ぎない。様々な演奏方法が次々と展開し技術が盛り込まれた悔しさに任せている難解なだけの音楽。 「清音!!」 「次の新曲や。簡単な事やった。これならパクられへん。CGって言っても所詮モーションに限界があるやろ。それを超えたったらえぇねん。音と動きがリンクせぇへん。ニセモンやからな」  いつもの得意げな笑みが、今では負け惜しみの敗者の顔にしか見えなかった。今になって思えば、この男はいつも余裕など無かったのかもしれない。人知れず努力をし、いつも強気でいる事でLEOのメンバーやルナにも安心して演奏出来るように努めて来たのかもしれない。  てっぺんに連れて行く。そう断言した清音は、魅由が出逢った当時、自分のCDに価値が出ると宣言して渡して来た時と同じ気持ちだったのかもしれない。  自分を鼓舞する為。そう宣言すればやるしかなくなる。  そんな男に任せっきりだったと、ルナは途端に自分が情けなく思えた。 「難しいよ、その曲」 「……わかってる。こんなもんばっか創ってても客は楽しめへん。だからな、もう辞めにしようや」 「え?」 「KEEP MYSELFは解散や。もうこんなとこに来る必要も無いで。お疲れさん。楽しかったで、今までのバンドで一番」  清音はギターを壁に掛けた。もう気力も抜け切ったように、ソファに座ると、煙草に火を灯した。 「清音はギターやめてどうすんの?」 「俺か? 俺は……まぁテキトーになんとか生きてく。心配いらんで。こっちはえぇ大人や」 「諦めんの? 曲盗られたからって……」 「大人になれや。自分で言うたやん。VHは国絡みでやってるって。そんなモンにどうしようもないやろ」  また『大人』。 「大人になるのがそんなに偉いの!?」 「そんな話ちゃうやろ! やっても無駄や言う話や。それくらいわかれや……」  悔しいのは清音も同じだった。ミリオンセラーの楽曲。百万人が知っている曲。百万人がノレる曲。それも、VHの物になる。  煙草を持つ手が震えていた。一つだけ、方法があると清音は依然言っていた。ネットに頼らずとも売り出せる方法があると。 「KEEP MYSELFとか言ってたけどさ、このままじゃダメだったんだよね。ド素人のヴォーカルじゃダメなんだよ」  怖かった。どれだけ見知らぬ人と話し、蔑まれなければいけないのか。 「ルナ……?」  泣きじゃくりたい気持ちでいっぱいだった。アタシが一体何をしたというのか。次々と幸せを奪われる。 「アタシはもっと上手くなる。だから待ってて。アタシがてっぺんに連れてくから……だから、KEEP MYSELFは今日で活動休止にしよう」  覚悟は決まっていた。部屋の隅の置いてある拡声器を手に取り、衣装として置いていたロリータ服の一式も袋に詰めた。 「てっぺんて……無理やろ」 「いつまでもさ、いつもみたいにギターとイチャイチャしててよ。活動再開した時に弾けなくなってたら、ギター、クビにするからね」  一人で回ってやる。全国。アタシの声を届ける。 「おい……待てって」 「じゃあ、またね」 「おい……ルナ!!」  振り返る事なく、ルナは清音の家を後にした。  自分で自分の感情を理解出来ていないのかと思えるくらい、清音の目には今にも泣きそうな顔で強がり、優しく笑おうとする相棒(ルナ)の姿があった。  壁に掛けたギターを見つめ、清音はそれに手を伸ばすことなく、拳を握った。  outro
 流行り(どうでもいい)。流行りに乗らなきゃいけないの?  正確な音程(どうでもいい)。感情をむき出しにしてるだけ。  正確なリズム(どうでもいい)。狂うに決まってる。  誰の胸にも響く歌(どうでもいい)。みんな違うんだから届くわけない。  前向きな言葉(どうでもいい)。うわべばっかの綺麗ごと。  VH(どうでもいい)!!   大人になる事(どうでもいい)。諦めをそんな言葉で片付けんな。  誰にも好かれる事(どうでもいい)。それって誰にも好かれてないと同じ。  愛想笑い(どうでもいい)。見え見え。  いつもニコニコ(どうでもいい)。ぶっ壊れてるよ。  人の評価(どうでもいい)。見てくれる人は見てくれる。伝わる。  理解不能(どうでもいい)。お互いさま。  手に入れた幸福は片っ端から奪われる。  だったらこんな世界は壊してやる。  この声で、この心で、人が持つ価値も基準も  アタシの自分自身の音楽(LUNATIC BEAT)は……破壊的激情(DESTROY)初期衝動(ROCK)。  破壊衝動(DESTROCK)